氏名

ナカムラ ミドリ

中村 みどり

職名

准教授

所属

(商学部)

本属以外の学内所属

学内研究所等

商学学術院総合研究所

兼任研究員 2011年-2014年

外部研究資金

科学研究費採択状況

研究種別:

中華民国期における高等教育と中国知識人の文化活動――青島、済南、周辺都市を中心に

2018年-0月-2021年-0月

配分額:¥4420000

研究種別:

日中戦争時期重慶における民族主義文壇と国民党系知識人の内陸都市間連携

2017年-0月-2020年-0月

配分額:¥4290000

研究種別:

文化都市・青島における知識人ネットワークと都市表象の研究

2015年-0月-2018年-0月

配分額:¥4550000

研究種別:

日韓における中国近現代文学受容の比較研究

2014年-0月-2017年-0月

配分額:¥2860000

研究種別:

戦時上海のメディア『新申報』と『大陸新報』の比較――陶晶孫の言語選択

2013年-0月-2016年-0月

配分額:¥1560000

研究種別:

中国人留学生の言語応用能力と社会適応に関する実証的研究

配分額:¥4030000

研究種別:

東方文化事業と中国人留学生に関する研究-陶晶孫を中心として

配分額:¥1210000

研究種別:

日中双方の留学生における異文化適応に関する通時的研究

配分額:¥3640000

学内研究制度

特定課題研究

『留東外史』に関する研究

2011年度

研究成果概要: 中華民国初期の通俗小説のベストセラー『留東外史』シリーズでは、日本を舞台とし、中国人男性に憧れる「奔放な」日本女性が複数登場するが、これらの描写は日中関係の悪化する1920年代中国において読者の好評を博した。小説の題材、および読... 中華民国初期の通俗小説のベストセラー『留東外史』シリーズでは、日本を舞台とし、中国人男性に憧れる「奔放な」日本女性が複数登場するが、これらの描写は日中関係の悪化する1920年代中国において読者の好評を博した。小説の題材、および読者の受容の社会的背景を幅広く考察するため、上海の代表的な新聞『申報』のデータベース(早稲田大学図書館の学術情報検索)、上海図書館の民国期の雑誌新聞のデータベースなどを用いて、1910-1930年代の中国における日本女性に関わる言説を調査した。 調査の結果、ハリウッド映画『マダム バタフライ』(1932年)が1933年に上海で上映され、1930年当時の中国の観客の間では、同映画の「アメリカ人男性に棄てられる」日本人女性像を通して、一つは中国人の観客がアメリカ人男性に自己を重ね、「中国を圧迫する」日本を見返すという視点、もう一つは中国人観客が「憐れな」日本女性に同情を抱き、日本に対して親近感を覚えるという視点から娯楽映画として歓迎を受け、ロングランを記録していたことが指摘できる。一方、同映画が日本ではどのように受容されていたかを読売新聞のデータベース(早稲田大学図書館の学術情報検索)、映画雑誌などを用いて調べた。大正期の日本では、オペラとして入ってきた『マダム バタフライ』は、むしろ列強の欧米の視界に日本が入り、かつ日本のプリマドンナの欧米への進出の足掛かりとなった物語として受け止められていたが、日本の対中国侵攻がすすみ、欧米の日本への圧迫が増す1930年代になると、『マダム バタフライ』のオペラ、そしてハリウッド映画を「国辱」と捉え、日本人の手で作成し直す計画が提唱されていたことがわかった。 さらに香港電影資料館で、1950年代の香港映画、上記の『マダムバタフライ』の香港版『蝴蝶夫人』、やはり中国人男性に憧れ、別れを余儀なくされる日本人女性の姿を描いた『桜都艶跡』などの映像資料に目を通した。中国語圏では、文字のみならず映像の世界でも、日中関係を描く際に「日本女性像」という記号を多用していることを知るに至った。近代以降の日中関係において、いずれも「強国」であるヨーロッパ、あるいはアメリカを介在させ、自己の位置を高めようとする文芸作品が生産されてきたことは、今日にもつながる問題であり、今後も多様な方面から考察をすすめたい。

中国近代文学の中の日本-ベストセラー作家張資平が描いた日本女性について

2013年度

研究成果概要: 2014年3月15日から21日にかけて中国上海の上海図書館を訪問し、研究対象である日本留学出身者で創造社の作家張資平が上海で活躍した1930年代の作品、および流行作家であった彼に対する周囲の評価を記した記事・文章の収集を行った。... 2014年3月15日から21日にかけて中国上海の上海図書館を訪問し、研究対象である日本留学出身者で創造社の作家張資平が上海で活躍した1930年代の作品、および流行作家であった彼に対する周囲の評価を記した記事・文章の収集を行った。まとまった同時代の張資平評である『張資平評伝』(1932年)のほか、図書館の近代文献データベースを活用し、日本では閲覧不可能である中国全土で刊行された小新聞から文芸雑誌、大学の学内誌に至るまでの張資平関連の記事を閲覧し、かつ必要箇所をコピーすることが出来た。 現在、資料の整理を進めつつあるが、今日中国文学史研究において低い評価が与えられている張資平は、1920年代に大衆的な恋愛小説で青年読者を中心に一世を風靡した後、1930年代に日本の侵略が進み、亡国意識の高まる中で新聞連載中の彼の通俗小説は読者に見放されたがゆえ中断されたというのが定説であったが、実際にはその裏側には編集者との確執があり、必ずしも彼の通俗的な小説が読者を失った訳ではないという手掛かりを得ることができた。日中戦争前夜に発表した日本の帝国主義と天皇制に言及し、日本女性を主人公としたメロドラマ風の長編小説は版を重ねて出版されており、1930年代もなお熱心な読者を擁していたことが確認できた。そのほか、量的には少ないが、日中戦争時期・戦後の張資平に関する資料も入手し、詳細が不明であった戦時下における南京の親日傀儡政権の役職に就いた張資平の動向、また戦後「漢奸」裁判で告訴されなかったものの、世間では「漢奸」として批判されていた実態を知ることができ、日本占領地区に留まった日本留学出身者としての張資平の姿を捉えることが可能となった。  今後、1920年代から1930年代にかけての張資平の作風の変化、彼を取り巻く評価の変遷を捉えた上で、日本と強いつながりを持ち日本を題材とした作品を多数残した張資平が中国の文壇で果たした役割、および読者に対する影響、また読者が作家に求めたものを分析し、今日の張資平評価に新たな視点を加えたい。

日中プロレタリア文芸・演劇界の交流―陶晶孫と村山知義―

2006年度

研究成果概要: 本研究の課題は、従来の陶晶孫研究における30年代のプロレタリア文芸活動の評価、そして20年代のモダニズム文芸作品に対する評価を踏まえた上で、特にモダニズムからプロレタリア文芸へ向かう過渡期を、日本の作家・演劇家村山知義との交流か... 本研究の課題は、従来の陶晶孫研究における30年代のプロレタリア文芸活動の評価、そして20年代のモダニズム文芸作品に対する評価を踏まえた上で、特にモダニズムからプロレタリア文芸へ向かう過渡期を、日本の作家・演劇家村山知義との交流から捉えようと試みたものである。 陶の全集は出版されていないため、上海図書館(2006年8月調査出張)で陶が帰国後直後に作品を集中的に掲載した文芸誌『楽群』を調べ、また従来知られていない陶の第二の作品集(1930)を目にすることが出来た。また日本国内では、陶が29年から30年に編集したプロレタリア文芸誌『大衆文芸』のリプリント版に目を通し、そのほか、同時期の村山の作品を集めた。 このように29年から1年間を調査対象とし、上記二人の作品の変遷を考察し、これらの資料をもとに、主に従来正面から論じられていない過渡期の作品を取り上げた。考察を経て、陶が大正期から昭和初期の文芸思潮を受けつつも、モダニズムから完全に脱却せず、モダニズムを交錯させたモダニズム文芸作品の執筆に意欲的に臨んでいたことを明らかにした。また陶が『大衆文芸』で、村山知義を高く評価し、また29年から30年に村山の作品を集中的に翻訳し、同誌に発表していることを踏まえ、同様にモダニズムから出発し、プロレタリア演劇の旗手となった村山の作品における思想、文体と構成の変遷が陶に少なくない影響を与えていることを指摘した。 これらの考察結果により、従来の陶晶孫研究に欠けていた新たな視点を付与することができた。また中国文学史においては、中国の初期プロレタリア文学がいかに形成されたかという問題を提出し、日中関係史においては、大正から昭和にかけての中国人留学生と日本知識人との交流の一面を具体的に明らかにできると思われる。引き続き、日中戦争期では日本資本で建てられた上海の研究機関に残った陶が、戦後すぐ国民党から日本統治下にあった台湾大学摂取に派遣された背景を調べ、日本留学出身者である中国知識人の戦中戦後のあり方について考察してゆきたい。

民国期中国通俗文学に描かれた日本女性像に関する考察

2008年度

研究成果概要: 上海市図書館の蔵書である、清朝末期に上海で刊行された曼陀編著『女学生旅行記』(前編・後編、1907、1909)を取り上げた。同小説に描かれた滑稽かつ好色な日本女性像が、民国初期の国民的ベストセラーであり、今日も読み続けられている... 上海市図書館の蔵書である、清朝末期に上海で刊行された曼陀編著『女学生旅行記』(前編・後編、1907、1909)を取り上げた。同小説に描かれた滑稽かつ好色な日本女性像が、民国初期の国民的ベストセラーであり、今日も読み続けられている中国人の日本留学を題材とした通俗小説『留東外史』に引き継がれていることを考察した。 曼陀編著『女学生旅行記』の序に拠れば、同小説は明治期の著名な通俗小説家五峰仙史の『滑稽女学生旅行』(正編・続編、1906、1907)の翻案である。そのほかやはり当時名の知れていた通俗小説家池田錦水の『女学生気質』(1902)なども下敷きとしている。下敷きとなった小説はいずれも明治期の女学生の増加、女学生文化の流行などを反映し、女学生の奔放で品行不正な姿を興味本位に描いている。だが、原作と読み比べてみると(『滑稽女学生旅行』はハワイ大学図書館と日本の国会図書館の蔵書のコピーを利用した)、翻訳、書き換えの過程で女学生の不道徳は日本人、とりわけ日本女性全般の不道徳として強調されていることがわかる。 『女学生旅行記』は旅行を通した日本名所案内の趣も有しており、日清戦争後中国人の日本への興味が増す中で、日本文化と日本人気質を紹介した通俗小説として刊行されたであろうことが想定できる。このように日本案内とセットになった、読者が見下げるに値する好色な日本女性像は、不肖生著『留東外史』にもつながるものであり、その底には中国よりいち早く近代化を遂げた隣国日本への作者及び読者の興味、好奇心、焦燥、反感などが入り混じっているように思われる。ただ、作者の曼陀と不肖生はともに日本滞在経験を有しているが、後者は恵まれない「三等」政治亡命者の身分で日本に滞在し、その鬱屈はより小説の中で爆発し、さらに時代背景も加わり、彼の小説をベストセラーの位置に押し上げたように思われる。 明治期の小説が大量に中国語に翻訳され、中国の近代小説の形成に影響を与えたことはすでに指摘されているが、研究対象は著名な日本の小説を原作とする、あるいは著名な中国人文学者の手を経て翻訳されたものに集中しがちである。だが、軽薄な内容の通俗小説の中にこそ、当時の読者の興味や期待が表れているのではないだろうか。曼陀編著『女学生旅行記』を通してこそ、『留東外史』がベストセラーになるまでの水脈を見ることができる。引き続き日本女性を描いた晩清から民国にかけての小説を取り上げてゆきたい。

現在担当している科目

科目名開講学部・研究科開講年度学期
中国語圏の歴史と文化A商学部2019春学期
中国語圏の歴史と文化B商学部2019秋学期
中国語I基礎A 1商学部2019春学期
中国語I基礎A 2商学部2019春学期
中国語I基礎B 1商学部2019秋学期
中国語I基礎B 2商学部2019秋学期