グユルベルク ニールス
教授
(法学部)
-1990年 | ミュンヘン大学大学院 日本学 日本学(副専独語,独文学) |
文学修士 論文 ミュンヘン大学
文学博士 論文 ミュンヘン大学
東洋文化研究協会(OAG)
中世歌謡研究会
仏教文学会
日本綜合仏教研究会
個人研究
研究テーマのキーワード:日本仏教史,仏教と文学
国内共同研究
研究テーマのキーワード:日本哲学史
個人研究
個人研究
National Language and Literature66/10,29-471989年-
国語と国文学66/10,29-471989年-
国語と国文学/東京大学国語国文学会66;101989年09月-
Munchener Ostasiatische Studien/Stuttgart (Franz Steiner Verlag)581991年08月-
Hefte f(]E88DB[)r ostasiatische Literatur/12,95-1061992年-
Hefte fur ostasiatische Literatur/Munchen121992年03月-
Annual of the Institute for Comprehensive Studies of Buddhism, Taisho University/15,254-2681993年-
(]J1003[)sthetik und (]J1003[)sthetisierung in Japan. Referate des 3. Japanologentags der OAG in T(]J1152[)ky(]J1152[), M(]E88DB[)nchen (iudicium)/,119-1311993年-
Asiatische Studien・(]E85D8[)tudes Asiatiques48/1,202-2141994年-
Literature (Quarterly)5/4,113-1211994年-
季刊文学(岩波書店)5/4,113-1211994年-
季刊文学/岩波書店5;41994年10月-
Annual of the Institute for Comprehensive Studies of Buddhism, Taisho University/17,1-291995年-
Studies of the Kanazawa bunko collection/295,1-81995年-
The Journal of Yokohama City University (Humanities)/2,87-1351995年-
金沢文庫研究/295,1-81995年-
大正大学綜合仏教研究所年報/17,1-291995年-
横浜市立大学紀要:人文科学系列/横浜21995年03月-
金沢文庫研究/横浜2951995年09月-
Annual of the Institute for Comprehensive Studies of Buddhism, Taisho University/18,47-951996年-
De tweederonde. Tijdschrift voor literatuur./Lente,77-861996年-
Transactions of the International Conference of Eastern Studies/41,130-1311996年-
大正大学綜合仏教研究所年報/18,47-951996年-
大正大学綜合仏教研究所年報/東京181996年03月-
De tweede ronde.Tijdschrift voor literatuur/AmsterdamLente 1996, pp. 77-861996年04月-
ドイツ日本学会第10回大会/ミュンヘン1996年10月-
Annual of the Institute for Comprehensive Studies of Buddhism, Taisho University/19,87-1051997年-
Waseda-Bl(]J1103[)tter/4,41-661997年-
Aufs(]E88D2[)tze des 10. Deutschsprachigen Japanologentages auf CD-ROM, iudicium Verlag M(]E88DB[)nnchen/,50-631997年-
Humanitas(The Waseda University Law Association)/35,13-631997年-
大正大学綜合仏教研究所年報/19,87-1051997年-
Transactions of the International Conference of Eastern Studies /東京XLI 1996, pp. 15-421997年01月-
(早稲田大学法学会)人文論集/東京(35)p.13 - 631997年02月-
ワセダ・ブレッター/東京4, pp. 41-66 1997年03月-
大正大学綜合仏教研究所年報/東京19, pp. 87-1051997年03月-
場所論の種々相—西田哲学を中心として—(河波晶編)/北樹出版pp. 130-1531997年08月-
/16,1-191998年-
Waseda-Blätter/5,44-591998年-
Humanitas(The Waseda University Law Association)/36,33-831998年-
梁塵・研究と資料/16,1-191998年-
Transactions of the International Conference of Eastern Studies /東京XLII 1997, p.1361998年01月-
(早稲田大学法学会)人文論集/東京(36)p.33 - 831998年02月-
OAG第6回 日本学研究大会/東京1998年03月-
ワセダ・ブレッター5, pp. 44-591998年03月-
大正大学綜合仏教研究所年報/東京20, pp. 15-421998年03月-
Stuttgartp.3181998年12月-
梁塵の研究と資料16;pp.1-191998年12月-
Japans Kultur der Reformen. Referate des 6.Japanologentages der OAG in Tokyo/,117-1461999年-
Annual of the Sanko Research Institute for the Studies of Buddhism/30,101-1381999年-
三康文化研究所年報/30,101-1381999年-
東京大学資料編纂所ドイツ語案内(56p.) http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/deutsch1999年01月-
(インターネット雑誌)本とコンピューターhttp://www.honco.net/u-tokyo1999年01月-
Werner Schaumann[編]: Japans Kultur der Reformen, München1999年03月-
三康文化研究所年報、東京第30号、pp.101-1381999年03月-
第11回ドイツ語圏日本学大会、トリア1999年09月-
Humanitas(The Waseda University Law Association)/38,1-842000年-
(早大法学部)人文論集(38)p.1 - 862000年02月-
Humanitas(The Waseda University Law Association)/392001年-
Humanitas(The Waseda University Law Association)/392001年-
梁塵・研究と資料/19, 1-182001年-
(早大法学部)人文論集(43)p.45 - 712005年02月-
(早大法学部)人文論集(44)p.43 - 692006年02月-
(早大法学部)人文論集45p.1 - 212007年02月-
Esoteric Buddhist Studies: Identity in Diversity. Proceedings of the International Conference on Esoteric Buddhist Studiesp.97 - 1002008年03月-
(早大法学部)人文論集47p.1 - 422009年02月-
Blätter zur japanischen Geschichte und Religion (BJGR)1p.1 - 132009年03月-
(早大法学部)人文論集48p.1 - 102010年02月-
Niels Gülberg
Katja Triplett (Hg.), Religiöse Tradierung in Japan1p.147 - 1582012年-2012年
ニールス・グュルベルク
(早大法学部)人文論集51p.166 - 1352013年02月-
河波昌編、『場所論の種々相-西田哲学を中心として-』北樹出版1997年-
『中世文学の展開と仏教』2000年-
『(石上善應先生古稀記念論文集)仏教文化の基調と展開』2001年-
Franz Steiner Verlag Stuttgart1991年-
Franz Steiner Verlag Stuttgart1999年-
1997年-
Stanca Scholz(ed) : Wasserspuren. Festschrift Wolfran Naumann, Otto Harrassowitz Verlag Wiesbaden1997年-
The development of medieval literature and buddhism2000年-
2001年-
ドイツ語圏日本学会 第14回学術大会2009年09月22日
口頭発表(一般)
ドイツ東洋学会 第31回学術大会2010年09月24日
口頭発表(一般)
仏教文学会本部例会2011年10月01日
口頭発表(一般)
ドイツ語圏日本学会 第15回学術大会2012年08月29日
口頭発表(一般)
研究種別:
講式に関するデータベース作成を可能にする為の研究と設備の具備、及び実際の作成配分額:¥1600000
2010年度
研究成果概要:今回の研究は、一つの史料群を場所的と時代的に限定して、その機能や特色をできるかぎり正確に捉えようという試みだった。研究成果を一冊の研究書に纏めることも主な目的だった。このたぐいの研究は、その基になっている史料の質に左右されているの...今回の研究は、一つの史料群を場所的と時代的に限定して、その機能や特色をできるかぎり正確に捉えようという試みだった。研究成果を一冊の研究書に纏めることも主な目的だった。このたぐいの研究は、その基になっている史料の質に左右されているので、申請後から研究期間開始の間や研究期間中にも史料の充実を目指してきた。研究期間開始の直前に古本市場にめったに出てこない大型の絵図3点を購入することができた。大型絵図はその大きさゆえに明治時代までは道案内の役割も果たした所謂「一枚もの」の絵図と異なる使用目的で製作されていたが、製作過程に携わった人物(画家、彫師、摺り師、版元、販売組織)が概ね同じであるから、資料作成を論ずるには欠かせないものである。研究期間中にも大型絵図2点を追加することができたので、文献や目録上で知られているすべての関連絵図が揃えた。そのため、元の計画に予定しなかった大型絵図研究2点を研究成果に取り入れることを決めた。その一つは、従来高野山の基礎史料として利用されてきた『紀伊続風土記』(1839完成)と文化十年(1813)作『高野山細見図』の比較だった。比較によって、『紀伊続風土記』編集過程で高野山から提供された寺院関連資料が誤読された形跡も判明できた。もう一つは、高野山の近世から近代への過度期ともいえる1850年代から1890年代まで40年間に様々な版で使用されていた『高野山略図』とその元になった『(再刻増補)高野山細見絵図』との比較であった。所謂「一枚もの」の絵図に関しては、概説の他に、寺院内で独自に発展した出版文化の中で位置づけてみた。「一枚もの」は、商品化された印刷物として商業出版の始まりともいえる。また個別研究は、空海1050年回忌の記念事業として1884年に完成を目指した大塔再建の試み(この試みは失敗で終わったが)を絵図に反映された形で検討した。
1996年度
研究成果概要: 申請した金額の半分しか認められなかったので、研究に必要な文献も予定した半分程度しか購入できなかった。従って、研究は当初計画していた程には進められなかったけれども、計画していた二つのテーマに関して、それらの文献で可能な限りのところ... 申請した金額の半分しか認められなかったので、研究に必要な文献も予定した半分程度しか購入できなかった。従って、研究は当初計画していた程には進められなかったけれども、計画していた二つのテーマに関して、それらの文献で可能な限りのところまでは研究を行なった。その原稿はほぼ纏まったので、近く発表の予定である。 今回の研究は、二つの部分、即ち(一)禅寂の『月講式』と、(二)貞慶の『舎利発願』に分かれていた。 (一)禅寂の『月講式』は、『方丈記』の作者、鴨長明の為に書かれたものであることから、中世文学研究者にも広く知られているという点で、例外的な講式である。ただ従来の中世文学の研究では、二つの重大な問題が充分解決されないまま残されていた。その一つは、禅寂が法然の弟子であったことだけから、『月講式』も法然の教学に基づいているとされているが、実際にはその根拠が示されていないという問題である。もう一つは、『月講式』に現れる狂言奇語観をめぐる論争である。これらの問題の考察は、国文学的視点からだけでは不充分であり、今回私が行なったように仏教学的立場からも検討されるべきである。 従来『月講式』は、鴨長明の浄土教と法然の浄土教とを結びつける拠り処とされてきた。しかし、私は厳密な出典考証によって『月講式』の見直しを行なった結果、『月講式』に法然の教学の跡は全くないことを明らかにすることができた。この研究成果は「『月講式』に現れた禅寂の思想」という題で公けにしたい。 (二)貞慶の『舎利発願』は金沢文庫所蔵の資料であり、既に学会でも紹介されているが、調査研究はまだ甚だ不充分である。その大きな理由は、金沢文庫本のテキストは相当傷んでいる為に、充分解読できない状態にあるからである。私の研究調査によって、同じ『舎利発願』に別の写本が、然も完全な形で残されていることが解った。この『舎利発願』は、貞慶の他の作品、即ち『誓願舎利講式』と『舎利勘文』との真偽を判定する為に重大な手掛かりを与えるものである。この研究の成果は、「『舎利発願』と貞慶の舎利信仰」という題で発表の予定である。
1997年度
研究成果概要:今回の計画は、貞慶(前回のテーマ)の弟子であり、鎌倉仏教の代表者の一人でもある明恵上人の講式を、テーマとするものであつた。敢えて自宗派を構えることをしなかった明恵は、他の所謂鎌倉仏教の始祖達とは異なり、仏教史の上からは、旧仏教側の...今回の計画は、貞慶(前回のテーマ)の弟子であり、鎌倉仏教の代表者の一人でもある明恵上人の講式を、テーマとするものであつた。敢えて自宗派を構えることをしなかった明恵は、他の所謂鎌倉仏教の始祖達とは異なり、仏教史の上からは、旧仏教側の一人とされるだけで、必ずしも正当な評価を受けてこなかった。しかし最近では、他の鎌倉仏教の始祖達には見られない、その独自な宗教性が注目されるようになり、彼の属していた宗派の中だけではなく、広く宗派を超えて、極めて優れた宗教家として認められるようになって来ている。彼が作った講式もまた、日本中に広く流布していたのであり、それが今日まで伝えられて来たのである。明恵の講式は、明恵の思想を知る為の最も重要な資料である。明恵は貞慶と並んで講式作者の頂点に立つ人物であって、現在判明しているところでは、講式23点に明恵の名が付されているが、その中の少なくとも16点が明恵の真作と思われている。 明恵の講式は、主に三つのグループに分けられる。即ち〔1〕釈尊に関する講式(6点)、〔2〕経典に関する講式(5点)、〔3〕神祇その他に関する講式(5点)である。その中、〔1〕と〔3〕に関しては、今回の研究期間以前に既に研究結果を発表しているので、今回は〔2〕を中心に研究を発展させた。 〔2〕の経典に関する講式の中では、『華厳経』に関するもの(2点)が特に重要である。明恵は伝統的分類に従えば、一応華厳宗の僧侶であった関係上、他の講式にもよく『華厳経』を引用しているので、この二つの作品(『持経講式』と『五十五善知識講式』)を注釈すれば、他の講式作品の中の『華厳経』引用についての理解も、より深めることができるのである。今回の研究期間中に研究成果を発表することができたのは、『持経講式』に関してである。『五十五善知識講式』に関しては、目下研究成果をまとめつつある段階にある。研究成果の発表:1998年1月 東京、Transactions of the International Conference of Eastern Studies No. XLII 1997, p. 136, “The Venerable My(e of Togano'o (K(ben) and His K(shiki”(要旨)1998年3月 東京、大正大学綜合仏教研究所年報第20号、1- 28頁、「明恵作『持経講式』について」
1998年度
研究成果概要: 今回の研究は、申請した段階では、慈円の講式を主に挙げていた。ところが研究期間中に大きな発見があった為、慈円の講式以外に、97年度の特定課題研究テーマに関連がある研究も行うことになった。(1) 慈円は日本の宗教史のみならず、歴史や... 今回の研究は、申請した段階では、慈円の講式を主に挙げていた。ところが研究期間中に大きな発見があった為、慈円の講式以外に、97年度の特定課題研究テーマに関連がある研究も行うことになった。(1) 慈円は日本の宗教史のみならず、歴史や文学史に於ける重要人物の一人であって、慈円研究は、海外の日本学研究者の間でも特に注目されている。しかし、研究計画書でも指摘したように、これまでの慈円研究では、慈円と講式との関わりは充分には把握されてこなかった。私も、申請時には、慈円の講式作品として四つしか挙げられなかったが、今回の再検討によって、慈円は少なくともその倍の八つの作品を書いており、それらが現存していることも解った。そうなると慈円は、講式作者としてもマイナーな存在ではなく、大家の仲間入りをしたことになる。研究の中心は、作品論ではなく、慈円の講式が比叡山の組織強化に如何なる役割を果たしたかを検討することであった。その成果は、1998年9月ドイツのボンで開かれた東洋学会第28回大会において、「伝統的僧侶組織の内部でなされた鎌倉初期の改革運動(その一)-天台座主慈円の場合-」という題で発表した(ドイツ語)。尚、原稿は略した形で会議録に収録されることになっている(印刷中)が、全文は現在インターネットのホームページで見られる。この研究結果を日本語で纏めることも予定している。(2) 慈円の講式研究を進める一方で、97年度の特定課題研究テーマ(明恵の講式)の調査資料から得られた新しい発見を、八月後半に開かれた学術会議の口頭発表し、更に詳しい研究を続けて、二つのかなり長い論文に纏めた。一つは既に刊行され、二つ目の論文も目下印刷中である。最も大きな発見は、複数作者説の解明であるが、これは、緻密な伝本調査によらなければ発見不可能であった。講式の中でもかなり流布している作品に『光明真言講式』という作品があって、これは古くから知道上人作か、もしくは明恵上人作とされてきた。明恵作説は、明恵が長らく暮らしていた高山寺に伝わっていた説だったが、作品の内容そのものに明恵とは思えない部分が沢山含まれていた為に、こちらの説は、これまで積極的に取り上げることはなかった。 調査したところ、様々な形で伝わってきた『光明真言講式』は、主に五段式と三段式に分けられることが判った。あまり流布していない三段式は、これまでは五段式の略本であると考えられてきた。しかし今回の綿密な伝本調査によって、三段式は逆に五段式の元になっていたことが判り、しかもこの三段式の作者は、やはり明恵であることを証明することができたのである。
1999年度
研究成果概要: 今回の研究は、まだ翻刻されていないのみならず、その存在さえ殆ど知られていない貞慶作『中宗報恩講式』が、中心となった。『中宗報恩講式』は、正治年間(1201-2)、貞慶が後鳥羽院に対して法相宗の教えを講義した際に、製作した講式であ... 今回の研究は、まだ翻刻されていないのみならず、その存在さえ殆ど知られていない貞慶作『中宗報恩講式』が、中心となった。『中宗報恩講式』は、正治年間(1201-2)、貞慶が後鳥羽院に対して法相宗の教えを講義した際に、製作した講式である。この講式は、貞慶作の講式の中でも非常に専門性の高いものであると同時に、テキストそのものも長くて、貞慶の思想を解明する為には絶好の資料となる。特に、この講式を後鳥羽院の為に書いたことに重大な意味がある。 『中宗報恩講式』の意義は、一方では文化史的な側面から追究できるし、もう一方では仏教史の上からも追究できる。 文化史から見ると、『中宗報恩講式』が成立した水無瀬離宮は、後鳥羽院の優雅な遊び(歌合わせ、舞、朗詠、晩餐会など)の場というイメージばかりが強いが、『中宗報恩講式』の御前講が行なわれたことを考えると、難解な仏教教理が説かれる学問の場という一面ももっていたことが判る。 中世法相宗の歴史から見れば、『中宗報恩講式』は優れた入門書ともいえるであろう。後に凝然が著わした『八宗綱要』の中の法相宗に関する説明が、構造上はよく似ている。凝然は、貞慶を、戒律の復興に力を潅いだ先輩として尊敬していたので、直接『中宗報恩講式』を知っていた可能性もある。 今回は、伝本の中の一つを所有している龍谷大学図書館より翻刻許可が出た為、分析の結果と共にテキストを学会に紹介することができた。
2000年度
研究成果概要: 今回の研究の目的は、西田幾多郎の作品をデータベース化することによって、国内外の研究者に西田の著作を研究する為の必要な情報を提供することであった。 データベースはSGML言語のアプリケーソンとしHTML4.0をベースにして開発した... 今回の研究の目的は、西田幾多郎の作品をデータベース化することによって、国内外の研究者に西田の著作を研究する為の必要な情報を提供することであった。 データベースはSGML言語のアプリケーソンとしHTML4.0をベースにして開発したので、今後はインターネットを通して公開する予定である。 西田哲学を研究する際、これまで様々な問題が指摘されてきた。 一、 西田には夥しい数の著作があるが、一つの著作(或いはその中の一つの論文)の中に重複するところが多い。ところが、重複して出てきても、それ以前に既に説明されている場所を示す注などは一切ない。ということは、西田は、読者に自分の著作の全体を知ることを要求しているということになる。(実際西田は、主に弟子を念頭に置いて著作活動を行なった。) 二、 西田は当時の日本哲学界の先頭に立って欧米の哲学思想を積極的に自分の体系に取り入れていたが、直接の引用は少なく、強引な解釈、或いは誤解も珍しくない。その上(一)で述べた重複の問題が重なると、正確な解釈は極めて困難になる。 三、 日本で行なわれている西田研究は、上記の問題点を避けてきた。しかし、西田を外国語に翻訳する研究者の間では以前から取り沙汰されていることである。様々な試みの中で、特に1987年に発表された『自覚に於ける直観と反省』の英訳は、出典注釈の点で高い評価を得た。 研究の目的は、上記の問題を解決する為に、デジタル技術を導入し、西田の著作をデータベース化して、既存の欧米哲学データベースを注釈に活用することである。結果的には(a)出版に向けて私の翻訳した部分に注釈をつけることと、(b)国内外の研究者にも利用できるように、西田の著作のデータベースをインターネットを通して公開することを目指している。現在、データベースには西田の代表的な著作(『善の研究』、『自覚に於ける直観と反省』その他)、西田の著作の翻訳文献目録や入手しにくい参考文献(例えばHaldane, The philosophical basis of biology)が収録されている。
2004年度
研究成果概要:特定課題報告日本撰述経典(偽経)の伝承と近世に於けるその受容―『光明眞言儀軌』を中心として―課題番号:2004A-025今回採択された研究計画を実際に始めていく過程で、近世の光明真言信仰に関する重要な書籍を、古本市場から購入するこ...特定課題報告日本撰述経典(偽経)の伝承と近世に於けるその受容―『光明眞言儀軌』を中心として―課題番号:2004A-025今回採択された研究計画を実際に始めていく過程で、近世の光明真言信仰に関する重要な書籍を、古本市場から購入することができた。その中、特に注目すべきは、宝永七(1710)年に刊行された泰音著『光明眞言照闇鈔纂靈記』(三巻六冊)である。この『光明眞言照闇鈔纂靈記』の研究に直ちにとりかかり、その成果の一端を早速国際学会で発表した。昨年平成16年九月二十日から二十六日までドイツのハレで開催されたドイツ東洋学会第28回大会において口頭で発表した「経典解釈書と説話集との間―泰音の寶永7年(1710)刊『光明眞言照闇鈔纂靈記』について―」が、それである。泰音の『光明眞言照闇鈔纂靈記』は、亮汰の『照闇鈔』の優れた末釈であると同時に、それまで纏まった形ではなかった光明真言利得説話集でもある。発表では、このことを幾つかの具体例で示し、解説を加えつつ、紹介した。今後も、この『光明眞言照闇鈔纂靈記』に載せられている説話について翻刻や研究を行なう予定である。他に今まで充分に翻刻されていなかった近世の光明真言信仰資料の研究と翻刻作業を進めており、目下は資料の翻刻をシリーズでスタートさせたところである。その第一号は正徳三年(1713)に出版された鏡寛著『光明眞言得道按心鈔』である。2005年2月に早稲田大学法学会の『人文論集』43号で公開した。このシリーズの特徴と目的は、できるかぎり正確な翻刻を行ない、近世の仏教資料ではこれまで殆ど実施されていない注釈を施し、入手しがたい資料を研究者に広く提供すことである。
科目名 | 開講学部・研究科 | 開講年度 | 学期 |
---|---|---|---|
独語初級 I(演習) 7D | 法学部 | 2020 | 春学期 |
独語初級 I(演習) 9D | 法学部 | 2020 | 秋学期 |
独語初級 II(演習) 7D | 法学部 | 2020 | 秋学期 |
独語初級 II(演習) 9D | 法学部 | 2020 | 春学期 |
独語中級 I(表現演習) 7(春) | 法学部 | 2020 | 春学期 |
独語中級 I(表現演習) 7(秋) | 法学部 | 2020 | 秋学期 |
独語中級 I(文法・作文) 2(春) | 法学部 | 2020 | 春学期 |
独語中級 I(文法・作文) 2(秋) | 法学部 | 2020 | 秋学期 |
独語中級 II(表現演習)2(春) | 法学部 | 2020 | 春学期 |
独語中級 II(表現演習)2(秋) | 法学部 | 2020 | 秋学期 |
全学年独語(初級)I | 法学部 | 2020 | 春学期 |
全学年独語(初級)II | 法学部 | 2020 | 秋学期 |