氏名

コスギ リョウスケ

小杉 亮介

職名

助手 (https://researchmap.jp/7000019750)

所属

(商学部)

学歴・学位

学位

修士

論文

戦前期の瀬戸内地域における醤油醸造経営の成長条件―佐野家「井筒屋醤油」の高知県市場進出を事例に―

小杉亮介

早稲田大学 産業経営研究所『産業経営』査読有り(52)p.53 - 842017年11月-2017年11月 

CiNiilinkJ-GLOBAL

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掲載種別:研究論文(大学,研究機関紀要)ISSN:0286-4428

概要:本稿は「在来産業」としての醤油醸造業の成長条件について,先行研究が捉えてこなかったマーケティ ングの展開に着目する。そして,醤油醸造業の成長条件のうち特に醤油醸造経営と市場との対応関係に ついて,地域によって異なる対応関係が見出せることを明らかにする。1934年から1936年までを範囲に, 香川県大川郡引田町で醤油醸造業を展開した佐野家の「合名会社井筒屋」(以下,井筒屋)の高知県市 場進出を分析する。  近代の香川県では,各地で生産された醤油の大半が大都市を含む県外の都市市場へ移出されていた。 井筒屋は中規模の醤油醸造経営であり,1934年から高知県市場へ本格的に進出した。中心的な取引相手 であった山崎斌商店の協力を得ながら,井筒屋は高知県市場の環境に対応するため,マーケティングを 展開した。井筒屋は,1936年までに自家の醤油を高知県市場の需要に沿うように調整できるようになっ たと考えられる。また,井筒屋は醤油の品質向上についてもカビ止めを使用するなどして対応していた。 販売面では井筒屋醤油販売会を組織し,2度の販売促進を展開した。井筒屋は井筒屋醤油販売会の会員 に口銭の取得を認め,会員が井筒屋の販売促進に協力するインセンティブを与えた。  井筒屋の醤油醸造経営にとって,他地域の市場に販路を拡大するためのマーケティングの展開は重要 な成長条件であったと考えられる。また,香川県内の醤油醸造業および井筒屋の事例にみる醤油醸造経 営と市場との対応関係は,林玲子(1986)や谷本雅之(1990)が関東の醤油醸造業から提示した「二層 構造」とは異なっている。井筒屋のように,中規模の醤油醸造経営でありながら,大都市を含む都市市 場へ販路を拡大することが重要だった醤油醸造経営が存在した。井筒屋による高知県市場でのマーケ ティングの事例は,地域で異なる醤油醸造経営の成長条件の1つを具体的に示している。

2017年の歴史学会―回顧と展望―(日本史近現代)

真辺将之、武藤三代平、袁甲幸、荒船俊太郎、松田好史、竹内桂、廣木尚、上田美和、松谷昇蔵、渡邊桂子、蔦田修、小杉亮介、佐竹康扶、長井景太郎、李英美、迫内祐司

『史学雑誌』招待有り127(5)p.151 - 1952018年05月-2018年05月 

CiNii

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掲載種別:研究論文(学術雑誌)ISSN:0018-2478

講演・口頭発表等

近代青森県の醤油味噌醸造業者の販売にみる青森県・北海道の市場環境変化の影響―青森県上北郡野辺地町・ヤマサンの事例を通して―

小杉亮介

経営史学会関東部会 9月例会(経営史学会)2019年09月21日

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国内会議口頭発表(一般)開催地:慶應義塾大学三田キャンパス

概要: 〇報告の趣旨と目的 ・青森県上北郡野辺地町の醤油醸造会社である野坂味噌醤油店(以下、ヤマサン)の、明治時代中期から昭和戦前期にかけての醤油および味噌の生産・販売の変化を、青森県、そして北海道の醤油・味噌の生産・流通の動向の中に位置づけて明らかにする。 〇中心的な問い:ヤマサンの醤油味噌醸造業において、醤油醸造業をはじめるきっかけであった北海道市場での醤油販売が縮小した要因と、その後も醤油醸造業が継続でき、さらに味噌醸造業が成長した要因は何か 〇得られる示唆 ⑴食料品産業において、近傍に巨大な消費市場が存在したとしても、必ずしもその市場において事業が発展するのではなく、むしろより狭隘な市場が最適となって事業が成長、存続していく事例が存在することを、醤油醸造業の範囲から明らかにする。 ⑵既存研究では触れられてこなかった青森県における醤油醸造業者の特徴と、青森県および北海道の醤油醸造業および味噌醸造業の市場構造の一端を明らかにする。

近代青森県の醤油味噌醸造業者の販売動向からみる醸造業経営の展開過程―青森県上北郡野辺地町・野坂味噌醤油店の事例を通して―

小杉亮介

経営史学会第55回全国大会(経営史学会)2019年10月26日

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国内会議開催地:慶應義塾大学三田キャンパス

概要: □事例:青森県上北郡野辺地町の醤油醸造会社・野坂味噌醤油店(以下、ヤマサン) 明治時代中期から昭和戦前期にかけての醤油および味噌の生産・販売の変化に着眼 →どのような販路を形成しながら醤油販売を展開していったかを具体的に明らかにする □中心的な問い:ヤマサンの醤油味噌醸造業において、その醤油の販路(市場)は具体的にどの地域に展開し、また、味噌販売はどのように推移したか ・ヤマサンの事例を通して、中小規模醸造業者による販路形成の過程を分析し、醤油醸造業者と市場との関係がどのように形成されていくか具体的に明らかにする ・ヤマサンの事例から、同程度の生産規模にある醤油醸造業者であっても、その販路の形成の過程は異なることが見出されるだろう ※たとえ近傍に巨大な消費市場が存在しても、それが必ずしも事業の成長を規定し得ない →多くの場合、巨大消費市場の存在がその事業の成長を支えると推測される食料品産業においても、どのような規模の市場が最適となって事業が成長、存続していくかは、地域、あるいは事例ごとに異なるが場合がある □ヤマサンの醤油販売からみえた示唆 ・ヤマサンは物流面で北海道へ醤油を移出しやすい条件にあり、原料面で大豆産地に立地 ⇔北海道への醤油移出は早期に縮小:青森県内、特に上北郡での販売で醤油醸造業を展開 →背景に、野辺地町から北海道を経由する北前船交易の衰退 ∴物流面で有利な範囲に巨大な消費市場を臨んだとしても、その市場が必ずしも特定の事業経営の発展を規定しない場合がある →その事例が立地する地域の地理的な問題にとどまらず、産業全体の動向を視野に入れて分析にあたる必要がある ・ヤマサンの醤油販売、特に卸売の販路は上北郡に依存 ⇔1912~1920年は上北郡での卸売石数減少:販売全体でも同時期に販売石数減少 →近い規模の田崎醤油(花井, 1998)の事例と異なり、県外、県内都市部を含む広範囲に醤油の販路を有していたヤマサンも、特定地域の市場での販売がその醤油販売に高い比重を占め、その動向が販売全体の動向を左右 ※上北郡に限った範囲でも、町村レベルで醤油販売の拡大の傾向、取引の態様は様々 野辺地町:限られた大口取引先を手掛かりに展開。その取引先は時期により入れかわる 三本木町:長期にわたり特定の大口取引先がそこでの卸売の販売を支える →ヤマサンの醤油販売の拡大、そして縮小の過程とその要因を克明に把握できる可能性 ∴醤油醸造業者の販路(市場)について、大まかに「地方都市・農村部に販路が限定された」「大都市部の市場で寡占状態にあった」と整理するにとどめず、より細かく分析することで得られる示唆があるのではないか →地方都市・農村・大都市といった範囲でどのように醤油販売を実現し、その販売の数量および金額を伸ばしていったかを、各地域の事例ごとに分析することで、生産規模や事業の形態が似たような事例同士で、全く異なる市場開拓の過程を見出せるかもしれない □ヤマサンの醤油販売・味噌販売全体の動向から見えた示唆 ・ヤマサンの醤油販売:1901~1911年に漸減、1912~1920年は販売全体が大きく減退 →仕込み諸味石数、製成醤油石数も同じ傾向で推移 →醤油単体でみれば、ヤマサンの醸造業は1920年代までに縮小しているようにみえる ⇔味噌販売は1903年以降、常に増加:特に1920年以降は顕著な増加 ・味噌販売は縮小する醤油販売を補う形で成長し、醤油と味噌とを合わせた醸造業全体でみれば、ヤマサンの醸造業経営は成長していた ∴「在来産業」論などで取り扱われる事例、特に醸造業者について検討する際に、その分析の焦点を「酒造」「醤油醸造」「味噌醸造」など特定の一つに絞ると、その事例の評価が変わってしまう可能性がある ※ヤマサンが醤油と味噌を兼業したように、複数の醸造業を兼業している醸造業者は多い →醸造業者なら関わっている醸造業全体で経営を分析し、その評価を定めた方が良い cf.「拠点や業種における複合性」(中西, 2009, pp.158-159) →複数、どのような事業を展開し、その事業においてどのような地域に拠点を置くか、その「複合性」が経営展開の特徴となって現れる ※ヤマサンの場合、野辺地町を拠点に地主経営と醤油醸造業・味噌醸造業 →野辺地町の地理的条件や地域の産業構造、その影響下においてヤマサンがどのように醤油味噌醸造業を展開し、各時代の環境変化に対応したか →このような視点で見ていくことで、ヤマサンの経営展開の特徴を見出せるか ※ヤマサンの醸造業経営においては味噌兼業であったことが決定的に重要だったはず →野辺地町を拠点に醸造業を行ううえで味噌醸造業の展開が必要不可欠の側面があったか □課題および今後の方針 ・醤油・味噌の県内物価について:味噌物価は一貫して醤油物価より安い →日銀物価指数でみた全国物価では、本報告の分析期間は醤油物価の方が安いとの指摘 →本報告では『青森県統計書』の連年の物価データを採用したが、現時点で、県統計書以外に依拠できる青森県内の物価データを用意できず:より正確な物価データを探す必要 ・ヤマサンは醤油味噌醸造業だけでなく、地主経営も展開 ※1886年から1900年代初頭の『諸用留』:「所得金高調」が残存している年次あり →限られた年次について地主経営、醤油醸造業、味噌所増業それぞれの費用、収益が判明 →どの事業がヤマサンの事業経営において中核であったかを明確にする ・なぜ味噌販売が1903年以降に増加を続けたのか →味噌の卸売も帳簿から販売先地域、取引相手の氏名、一件ごとの取引量が判明 ∴味噌についても各段階の販路、取引相手の動向を詳しく調べ、醤油の動向と比較する ・醤油販売が縮小した要因についてもより具体的に明らかにしたい →本報告では卸売について詳しくみたが、野辺地町内における小売の、取引先一件ごとの動向(取引相手の増減など)を分析してみることも視野に入れている ※『野坂常吉家文書』:生産・販売の帳簿はあるものの、損益計算などが可能な史料は不在 →ヤマサンの醤油味噌醸造業の分析は、生産と販売の動向を軸に行っていく

学内研究制度

特定課題研究

昭和期瀬戸内地域における醤油市場の環境変化にみる大規模醤油醸造経営の成長条件

2017年度

研究成果概要:本年度は、各年次の『工場統計表』から各府県の醤油醸造企業の製造所数を調査し、『大日本帝国港湾統計』から瀬戸内地域の各府県と大阪府について醤油の移出入量の推移、主な移出先あるいは移入元の港を年次ごとに把握した。また、香川県小豆島の丸...本年度は、各年次の『工場統計表』から各府県の醤油醸造企業の製造所数を調査し、『大日本帝国港湾統計』から瀬戸内地域の各府県と大阪府について醤油の移出入量の推移、主な移出先あるいは移入元の港を年次ごとに把握した。また、香川県小豆島の丸金醤油株式会社(以下、丸金)の戦前期の営業報告から、瀬戸内地域の醤油醸造経営が大正期から昭和期にかけてどのような問題に直面していたか調査した。丸金は第一次大戦後の不況に突入すると供給過剰の問題に直面し、出荷調整や販路拡大に注力していた。さらに、1920年代後半から千葉県野田市の野田醤油株式会社(以下、野田醤油)が大阪市場に進出すると、丸金はキッコーマンの市場進出に対抗した。

近代醤油醸造業の展開と近代日本経済発展に持つ意義―地域別の醤油醸造業の展開から―

2019年度

研究成果概要:青森県上北郡野辺地町野辺地町立歴史民俗資料館所蔵の『野坂常吉家文書』をもとに、野坂味噌醤油店の明治期から戦前期における醤油・味噌醸造業に関する研究を行い、2019年秋に学会報告を2件行った。9月21日に経営史学会関東部会において「...青森県上北郡野辺地町野辺地町立歴史民俗資料館所蔵の『野坂常吉家文書』をもとに、野坂味噌醤油店の明治期から戦前期における醤油・味噌醸造業に関する研究を行い、2019年秋に学会報告を2件行った。9月21日に経営史学会関東部会において「近代青森県の醤油味噌醸造業者の販売にみる青森県・北海道の市場環境変化の影響―青森県上北郡野辺地町・ヤマサンの事例を通して―」と題して発表した。その後、さらに史料の調査と分析を重ねて、10月26日に第55回経営史学会全国大会にて「近代青森県の醤油味噌醸造業者の販売動向からみる醸造業経営の展開過程―青森県上北郡野辺地町・野坂味噌醤油店の事例を通して―」と題する自由論題報告を行った。