氏名

イシハラ チアキ

石原 千秋

職名

教授 (https://researchmap.jp/read0044380/)

所属

(教育学部)

連絡先

住所・電話番号・fax番号

住所
〒169-8050新宿区 西早稲田1-6-1 
電話番号
03-3203-4141
fax番号
03-5273-4435

URL等

研究者番号
00159758

本属以外の学内所属

兼担

教育・総合科学学術院(大学院教育学研究科)

研究院(研究機関)/附属機関・学校(グローバルエデュケーションセンター)

学歴・学位

学歴

-1979年 成城大学 文芸学部 国文学
-1983年 成城大学大学院 文学研究科 国文学

学位

文学修士 課程 成城大学

経歴

1983年-1993年東横学園女子短期大学 助教授
1993年-2003年成城大学 教授

所属学協会

日本近代文学会 評議員(その他、運営委員3回、編集委員2回)

日本文学協会 運営委員・編集委員

全国大学国語国文学会 委員(2007年度より「理事」を委員と改称)

全国大学国語国文学会 編集委員

全国大学国語国文学会 常任委員(編集担当・機関誌『文学・語学』副編集長)

全国大学国語国文学会 常任委員(編集担当・機関誌『文学・語学』編集長)

全国大学国語国文学会 常任委員(編集担当・機関誌『文学・語学』副編集長)

全国大学国語国文学会 常任委員

委員歴・役員歴(学外)

2006年-日本学術会議 連携会員 2008

取材ガイド

カテゴリー
人文学
専門分野
日本近代文学、夏目漱石、国語教育

その他基本情報

2009年度から2年間、法政中学高等学校において「中等教育から高等教育へ繋げるための国語表現プログラムの開発」(東京私立中学高等学校協会)の、「研究指導者」を務める。

研究分野

キーワード

日本文学、近代文学、各教科の教育(国語、算数・数学、理科、社会、地理・歴史、公民、生活、音楽、図画工作・美術工芸、家庭、技術)

科研費分類

人文学 / 文学 / 日本文学

社会科学 / 教育学 / 教科教育学

研究テーマ履歴

1983年-夏目漱石の文学

研究テーマのキーワード:家族,語り,脱構築

個人研究

論文

家族と権力−『行人』②(連載『漱石と日本の近代』第二十三回)

『波』2015年05月-

宗教としての研究−教室で文学は教えられるか−

『日本文学』2015年04月-

家族と権力−『行人』①(連載『漱石と日本の近代』第二十二回)

『波』2015年04月-

恋愛と偶然−『彼岸過迄』③(連載『漱石と日本の近代』第二十一回)

『波』2015年03月-

恋愛と偶然−『彼岸過迄』②(連載『漱石と日本の近代』第二十回)

『波』2015年02月-

恋愛と偶然−『彼岸過迄』①(連載『漱石と日本の近代』第十九回)

『波』2015年01月-

因果と時間−『門』③(連載『漱石と日本の近代』第十八回)

『波』2014年12月-

因果と時間−『門』②(連載『漱石と日本の近代』第十七回)

『波』2014年11月-

因果と時間−『門』①(連載『漱石と日本の近代』第十六回)

『波』2014年10月-

法と権力−『それから』③(連載『漱石と日本の近代』第十五回)

『波』2014年09月-

法と権力−『それから』②(連載『漱石と日本の近代』第十四回)

『波』2014年08月-

法と権力−『それから』①(連載『漱石と日本の近代』第十三回)

『波』2014年07月-

言葉と意味−『三四郎』③(連載『漱石と日本の近代」第十二回)

『波』2014年06月-

言葉と意味−『三四郎』②(連載「漱石と日本の近代」第十一回)

『波』2014年05月-

(書評)鬼頭七美『「家庭小説」と読者たち』(翰林書房)

「週刊読書人」2014年03月-

言葉と意味−『三四郎』①(連載「漱石と日本の近代」第十回)

『波』2014年04月-

「誤配」された恋人たち−空虚な中心・三島由紀夫『春の雪』(連載・最終回)

『すばる』2014年04月-

乗り越えてきたもの、受け継いできたもの(高田瑞穂『現代文読解の根底』ちくま学芸文庫・解説)

高田瑞穂『現代文読解の根底』ちくま学芸文庫2014年03月-

事実と意味−『坑夫』(連載「漱石と日本の近代」第九回)

『波』2014年03月-

「誤配」された恋人たち−優雅なニヒリストたち・柴田翔『されど われらが日々−』(連載第9回)

『すばる』2014年03月-

女性と自由−『虞美人草』③(連載「漱石と日本の近代」第八回)

『波』2014年02月-

「誤配」された恋人たち−この甘ったれた若者・石原慎太郎『太陽の季節』(連載第8回)

『すばる』2014年02月-

(書評)芳川泰久・西脇雅彦『村上春樹 読める比喩事典』(ミネルヴァ書房)

「週刊読書人」2014年02月-

女性と自由−『虞美人草』②(連載「漱石と日本の近代」第七回)

『波』2014年01月-

社会の中の「私」(『社会と自分 漱石自選講演集』ちくま学芸文庫・解説)

『社会と自分 漱石自選講演集』ちくま学芸文庫2014年01月-

「わかること」と「わからないこと」のはざまで(『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』新潮文庫・解説)

『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』新潮文庫2014年01月-

「誤配」された恋人たち−それを愛と呼んでもいい・川端康成『雪国』(連載第7回)

『すばる』2014年01月-

女性と自由−『虞美人草』①(連載「漱石と日本の近代」第6回)

『波』2013年12月-

「誤配」された恋人たち−スターの条件・谷崎潤一郎『痴人の愛』(連載第6回)

『すばる』2013年11月-

主人公と観察−『草枕』②(連載「漱石と日本の近代」第5回)

『波』2013年11月-

「誤配」された恋人たち−読まれなかった手紙・志賀直哉『暗夜行路』(連載第5回)

『すばる』2013年11月-

二つの物語、あるいは恋する次男(集英社文庫『それから』解説)

『それから』集英社文庫2013年10月-

主人公と観察−『草枕』①(連載「漱石と日本の近代」第4回)

『波』2013年10月-

「誤配」された恋人たち−誰がシャッターを切ったのか・武者小路実篤『友情』(連載第4回)

『すばる』2013年10月-

教育と資本−『坊っちゃん』③(連載「漱石と日本の近代」第3回)

『波』2013年09月-

「誤配」された恋人たち−読者の恋・森鴎外『雁』(連載第3回)

『すばる』2013年09月-

教育と資本−『坊っちゃん』②(連載「漱石と日本の近代」第2回)

『波』2013年08月-

「誤配」された恋人たち−作家の闘争・田山花袋『蒲団』(連載第2回)

『すばる』2013年08月-

教育と資本−『坊っちゃん』①(連載「漱石と日本の近代」第1回)

『波』

2013年07月-

「誤配」された恋人たち−悲恋小説作家・夏目漱石(連載第1回)

『すばる』2013年07月-

「今」を探す旅へ

評論集『村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』をどう読むか』2013年06月-

(書評)関谷由美子『〈磁場〉の漱石』(翰林書房)

「週刊読書人」2013年06月-

「女の謎」から漱石を読み解く

『kotoba』2013年夏号2013年06月-

村上春樹と夏目漱石 国民作家のまなざし

『文藝春秋』6月号2013年06月-

「真実」の相続人−『こころ』論−

『日本語学』2013年04月-

アイデンティティーはもう古い?−三田誠広『僕って何』(連載「教養として読む現代文学」第10回・最終回)

『小説トリッパー』2013年春号2013年03月-

地図のない女−古井由吉『杳子』(連載「教養として読む現代文学」第9回)

『小説トリッパー』2012年冬号2012年12月-

「あなた」の向こう側−倉橋由美子『パルタイ』(連載「教養として読む現代文学」第8回)

『小説トリッパー』2012年秋号2102年09月-

「娘が母を殺すとき−水村美苗『母の遺産−新聞小説』」(書評)

『こころ』平凡社・8号2012年08月-

二人の村上春樹

菅野昭正編『村上春樹の読みかた』平凡社p.31 - 672012年07月-

主婦になり損なった男−小島信夫『抱擁家族』(連載「教養として読む現代文学」第7回)

『小説トリッパー』2012年夏号2012年06月-

坪内雄蔵(坪内逍遙)著『國語讀本』(書評)

『図書新聞』(2012年4月7日号)30572012年04月-

平野芳信『村上春樹—人と文学』(勉誠出版)・書評

『山口國文』第35号352012年03月-

二つの身体—安部公房『砂の女』(連載「教養として読む現代文学」第6回)

『小説トリッパー』2012年春号2012年03月-

裏返された家族—安岡章太郎『海辺の光景』(連載「教養として読む現代文学」第5回)

『小説トリッパー』2011年冬号2011年12月-

「僕ら」とは誰か—大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(連載「教養として読む現代文学」第4回)

『小説トリッパー』2011年秋号2011年09月-

仕事をする文体—『ダンシング・ヴァニティ』

『国文学 解釈と鑑賞』(筒井康隆特集)2011年09月-

利子と文学史—文学は進化するだろうか—

『文学・語学』(全国大学国語国文学会機関誌・200号)(200)2011年07月-

「恋」を知らない恋人たち—大岡昇平『武蔵野夫人』(連載「教養として読む現代文学」第3回)

『小説トリッパー』2011年夏号2011年06月-

ジェイ・ルービン『風俗壊乱』(書評)

『秘本経済新聞』6月12日2011年06月-

忘れられそうな小さな日常−尾崎一雄

『国文学 解釈と鑑賞』2011年06月-

漱石『こゝろ』を再読する(平成21年度「国文学 言語と文芸の会」大会シンポジウム記録)

『国文学 言語と文芸』(127)2011年03月-

小倉修三『漱石の教養』(書評)

『週刊読書人』第2885号(2885)2011年04月-

「作者」になるための物語—三島由紀夫『仮面の告白』(連載「教養として読む現代文学」第2回)

『小説トリッパー』2011春号2011年03月-

「正しさ」の村上春樹論的転回

日本近代文学会関西支部編『村上春樹と小説の現在』和泉書院2011年03月-

誰にひれ伏していたのか−東京裁判三部作(井上ひさし特集)

『国文学 解釈と鑑賞』2011年02月-

もう一つの、敗北を抱きしめて−太宰治『斜陽』(連載「教養として読む現代文学」第1回)

『小説トリッパー』2010年冬号2010年12月-

終わることの快楽−『三四郎』

『国文学 解釈と鑑賞』2010年09月-

期待は叶えられたか(『1Q84』書評)

『東京新聞』(2010年4月27日夕刊)2010年04月-

言葉と戯れる恋人たち−吉行淳之介『夕暮れまで』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第12回)

『文蔵』49号(月刊の文庫)2009年10月-

紙の上の出来事−多和田葉子『時差』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第11回)

『文蔵』48号(月刊の文庫)2009年09月-

重ね合わされる秘密−尾崎翠『無風帯から』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第10回)

『文蔵』47号(月刊の文庫)2009年08月-

今のところ「取扱注意」である(村上春樹『1Q84』論)

『村上春樹『1Q84』をどう読むか』河出書房新社2009年07月-

「法」と「道徳」−宮澤賢治『月夜のけだもの』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第9回)

『文蔵』46号(月刊の文庫)2009年07月-

「こちら側」の自分はいつも孤独−村上春樹『スプートニクの恋人』(連載「書き出しの美学」第15回)

『本が好き!』2009年07月-

解説−人生と研究と参考書

解説(高田瑞穂『新釈現代文』ちくま学芸文庫)2009年06月-

語り手は「私」ではない−芥川龍之介『蜜柑』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第8回)

『文蔵』45号(月刊の文庫)2009年06月-

女として読むこと−江國香織『きらきらひかる』(連載「書き出しの美学」第14回)

『本が好き!』2009年06月-

演劇時評(小田島恒志氏との対談形式で、全6回)

『悲劇喜劇』2009年06月-2009年11月 

逆さまから見る世界−萩原朔太郎『猫町』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第7回)

『文蔵』44号(月刊の文庫)2009年05月-

揺れ続ける性の向こうへ−松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』(連載「書き出しの学」第13回)

『本が好き!』2009年05月-

眩暈のような自意識−梶井基次郎『檸檬』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第6回)

『文蔵』43号(月刊の文庫)2009年04月-

少女の文体と新しい性の形−吉本ばなな『キッチン』(連載「書き出しの美学」第12回)

『本が好き!』2009年04月-

進化論を超えて−夏目漱石『趣味の遺伝』(連載『この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第5回)

『文蔵』42号(月刊の文庫)2009年03月-

女が文体を女装する−山田詠美『ベットタイムアイズ』(連載「書き出しの美学」第11回)

『本が好き!』2009年03月-

解説−使える地図論

解説(若林幹夫『増補 地図の想像力』河出文庫)2009年02月-

自分を超える自分−太宰治『女生徒』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第4回)

『文蔵』41号(月刊の文庫)2009年02月-

公然の秘密を楽しむ−向田邦子『あ・うん』(連載「書き出しの美学」第10回)

『本が好き!』2009年02月-

輸入品としての「気分」−谷崎潤一郎『人魚の嘆き』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第3回)

『文蔵』40号(月刊の文庫)2009年01月-

記号の森へ/記号の森から−田中康夫『なんとなく、クリスタル』(連載「書き出しの美学」第9回)

『本が好き!』2009年01月-

否定的な自己肯定−三島由紀夫『音楽』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第2回)

『文蔵』39号(月刊の文庫)2008年12月-

空虚な「愛」は語ることができない−村上龍『限りなく透明に近いブルー』(連載「書き出しの美学」第8回)

『本が好き!』2008年12月-

国語試験の限界と可能性

『日本語学』2008年11月-

淋しいフェティシズム−川端康成『片腕』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第1回)

『文蔵』38号(月刊の文庫)2008年11月-

父系の神話と母系の神話−中上健次『枯木灘』(連載「書き出しの美学」第7回)

『本が好き!』2008年11月-

真実の言説の作り方−大江健三郎『万延元年のフットボール』(連載「書き出しの美学」第6回)

『本が好き!』2008年10月-

有為子のために−三島由紀夫『金閣寺』(連載「書き出しの美学」第5回)

『本が好き!』2008年09月-

駒子が愛したのは東京の男−川端康成『雪国』(連載「書き出しの美学」第4回)

『本が好き!』2008年08月-

自分を「子供」に見せる語り−太宰治『人間失格』(連載「書き出しの美学」第3回)

『本が好き!』2008年07月-

時代の中の『三四郎』

『國文學』2008年06月-

誰でもない自分−谷崎潤一郎『痴人の愛』(連載「書き出しの美学」第2回)

『本が好き!』(光文社)2008年06月-

現代思想は15年周期

桐光学園中学校・高校編『大学の授業がやってきた! 知の冒険』(水曜社)2008年05月-

楊逸『ワンちゃん』(書評)

『文学界』2008年05月-

花になりたかった女−夏目漱石『それから』(連載「書き出しの美学」第1回)

『本が好き!』(光文社)2008年05月-

中学入試にはルールがある

『本』(講談社)2008年04月-

石川巧『「国語」入試の近現代史』(書評)

「日本経済新聞」2008年03月-

ファッションとしての読書

石原千秋

『ちくま』2007年08月-

現代と変わらぬ保守性

『北海道新聞』2007年06月-

日本文学(近代)研究06

『文藝年鑑』新潮社2007年06月-

(書評)植村鞆音『歴史の教師 植村清二』(中央公論新社)

『産経新聞』2007年04月-

文芸時評(毎月最終日曜日に掲載)

『産経新聞』2007年04月-

大学受験における国語力の研究

『早稲田教育評論』 第21巻第1号2007年03月-

文学研究の現在−−近代文学研究とパラダイムチェンジ−−

『二松学舎大学 人文論叢』第78輯2007年03月-

(書評)高橋源一郎『ニッポンの小説』

『産経新聞』2007年02月-

性慾を研究する時代がやって来た

『本』(講談社)2006年12月-

危険思想だった「自我」

『本』(講談社)2006年11月-

文学研究の現在−近代文学研究とパラダイムチェンジ−

二松学舎大学人文学会 第94回大会2006年11月-

バックラッシュ!「新しい女」

『本』(講談社)2006年10月-

(書評)前田愛『前田愛対話集Ⅰ・Ⅱ』(みすず書房)

『図書新聞』2006年10月-

「道徳」よりも「リテラシー」を!

『ユリイカ』青土社2006年09月-

「婦人問題」とはどんな「問題」か

『本』(講談社)2006年09月-

高橋英夫『洋燈の孤影』

『週刊読書人』2006年09月-

小林信彦『うらなり』

『文学界』2006年08月-

進化論と優生学

『本』(講談社)2006年08月-

田中和生『新約太宰治』(講談社)・書評

『陸奥新報』ほか(時事通信社配信)2006年08月-

国語教育と批評理論

『大航海』(59)2006年07月-

男は神経衰弱、女はヒステリー

『本』(講談社)2006年07月-

青年たちのハローワーク

『本』(講談社)2006年06月-

漱石がなぜ「予言者」に見えるのか

正言@アリエス2006年06月-

学生という階級

『本』2006年05月-

小説の自由とは何か

『月刊国語教育』別冊2006年05月-

(書評)唯川恵『今夜は心だけ抱いて』

産経新聞2006年05月-

社交場としての博覧会

『本』2006年04月-

石原千秋先生の国語教室(2006年4月8日から2008年3月29日まで、土曜日に隔週で連載、全49回)

読売新聞 夕刊2006年04月-2008年03月 

結婚の前夜に

『本』2006年03月-

古井由吉『辻』(書評)

日本経済新聞2006年03月-

漱石から白樺派へ

『国文学』2006年03月-

コム・デ・ギャルソンであること

『アイ・フィール』(紀伊國屋書店)2006年02月-

固有名詞の力

講談社文庫(佐藤賢一『ジャンヌ・ダルクあるいはメロ』解説)2006年02月-

不純な男女交際

『本』2006年02月-

なぜ「社交」が必要だったのか

『本』2006年01月-

女は「矛盾」、女は「謎」

『本』2005年12月-

「堕落女学生」は世間が作る

『本』2005年11月-

言葉との格闘

『漱石研究』182005年11月-

「脳力」とは何か

『本』2005年10月-

そして、兄は帰ってこなかった(解説・佐江衆一『リンゴの唄、僕らの出発』講談社文庫)

講談社文庫2005年08月-

国語との上手なつき合い方

『国語さが』(43)2005年07月-

隠れ里の文学

『漱石研究』172004年11月-

感想文を哲学する

全人/玉川大学6762004年11月-

〈都立高校〉はよみがえるか

アリエス12004年10月-

演劇の近代と近代日本の身体=言語

演劇人172004年10月-

柴田勝二『〈作者>をめぐる冒険』(書評)

中国新聞ほか(時事通信社配信)2004年08月-

分裂する近代・複数のナショナリズム

演劇人162004年07月-

(書評)大杉重男『アンチ漱石』

東京新聞2004年05月-

(書評)末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』

日本経済新聞2004年05月-

テクストと分析する機械

ちくま2004年04月-

漱石と読者の位置

早稲田大学国語教育学会 219回例会2004年04月-

カルチュラルスタディーズ再考

文学/岩波書店2004年03月-

中嶋隆『西鶴と元禄文芸』

国文学研究1422004年03月-

秘伝 人生論的論文執筆法

ユリイカ2004年03月-

「作者」はコードになるのだろうか

インターコミュニケーション472004年01月-

名前は付けられない−固有名をめぐって

國文學2004年01月-

受験国語は時代を映す

アリエス002003年12月-

失敗という名の可能性

漱石研究162003年10月-

(書評)渡部直己『かくも繊細なる横暴』

『日本近代文学』692003年10月-

屹立する郊外

インターコミュニケーション462003年10月-

いま、文学を教えること

インターコミュニケーション452003年07月-

村上春樹と〈食〉−国籍と自我と

國文學(臨時増刊号)2003年07月-

教室で教えられること

日本語学2003年06月-

紅野謙介『投機としての文学』

図書新聞2003年06月-

もう一人の内田百?(解説)

内田百?集成7/ちくま文庫2003年04月-

作者・読者・メディア−見えざる手の神話化

インターコミュニケーション442003年04月-

野口武彦『近代日本の詩と史実』(書評)

図書新聞2003年02月-

解説『こころに夢のタマゴを持とう』

講談社文庫2002年11月-

一郎的な言葉を生きること

漱石研究152002年10月-

戸松泉『小説の〈かたち〉・〈物語〉の揺らぎ』(書評)

日本近代文学672002年10月-

近代発禁関連略年表(生方智子と共編)

国文学(臨時増刊号)2002年07月-

現代文学と規制

国文学(臨時増刊号)2002年07月-

若林幹夫『漱石のリアル』(書評)

東京新聞2002年07月-

不純な男女交際−『女に思わるゝ法』『きむすめ論』など

国文学(臨時増刊号)2002年07月-

辻佐保子『辻邦生のために』(書評)

静岡新聞ほか(時事通信社配信)2002年06月-

自学自習が子どもを育てる

信濃毎日新聞ほか2002年05月-

「キッチン」(ほか8項目)野村純一ほか編

日本説話小事典/大修館2002年04月-

斎藤美奈子『文章読本さん江』(書評)

福井新聞ほか(時事通信社配信)2002年03月-

菅聡子『メディアの時代』(書評)

図書新聞2002年02月-

忘れられそうな小さな日常 尾崎一雄

文學界2002年02月-

解説『自分の子どもは自分で守れ』

講談社文庫2002年01月-

三浦雅士『青春の終焉』(書評)

新潮2002年01月-

スガ秀実『「帝国」の文学』(書評)

国文学2001年12月-

視点という名の症候群

漱石研究142001年10月-

21世紀に読み継がれる恋愛小説10冊

経営者2001年08月-

高田里恵子『文学部をめぐる病い』(書評)

福井新聞ほか(時事通信社配信)2001年07月-

国語ができるとはどういうことか

大学時報2792001年07月-

坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(書評)

図書新聞2001年06月-

「研究と批評」再び(「展望」欄)

日本近代文学642001年05月-

奇妙な争点−研究者の立場から

文學界2001年05月-

夏目漱石をどう読むか?−「いま」を読むこと

国文学解釈と鑑賞2001年03月-

〈恋愛〉スタディ・ガイド

国文学(臨時増刊号)2001年02月-

ホモソーシャル / セクシャル・アイデンティティー

国文学(臨時増刊号)2001年02月-

なぜ入試の国語に小説が出題できるのか

42001年01月-

上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』(書評)

京都新聞ほか(時事通信社配信)2000年12月-

『鏡子の家』−「純潔」の思想

国文学解釈と鑑賞2000年11月-

解説『硝子戸の中』

新潮文庫/新潮社2000年11月-

日曜日の妻たち 初期の岸田國士

演劇人62000年11月-

漱石を生きる人々

漱石研究132000年10月-

丸谷才一『闊歩する漱石』(書評)

静岡新聞ほか(時事通信社配信)2000年08月-

スピヴァック『ポスト植民地主義の思想』 / イ・ヨンスク『「国語」という思想』

国文学2000年03月-

高島俊男『漱石の夏やすみ』(書評)

北海道新聞2000年03月-

国語の掟

日本文学2000年03月-

漱石と文化記号

城西文学252000年03月-

一九七八年のセクシュアリティー(解説)

寵児/講談社文芸文庫2000年02月-

『漱石とその時代』全五冊(書評)

東京新聞2000年01月-

古屋健三『永井荷風 冬との出会い』(書評)

図書新聞2000年01月-

時代を超える『坊つちやん』

アイラブ坊っちゃん2000プログラム2000年01月-

『吉里吉里人』論−不可能としての国家

別冊国文学解釈と鑑賞1999年12月-

『河童』−〈個〉の抗い

国文学解釈と鑑賞1999年11月-

国語の掟

日本文学協会第54回大会1999年10月-

注釈という読み方

日本近代文学611999年10月-

明治の『坊つちやん』

漱石研究121999年10月-

漱石の居場所

城西国際大学人文学会1999年10月-

自画像としての漱石論(江藤淳追悼特集)

週刊読書人1999年08月-

新人小説月評(連載)

文学界1999年08月-2000年01月 

多和田葉子『カタコトのうわごと』(書評)

週刊読書人1999年07月-

男の恋と『母』

アエラムック 恋愛学がわかる/朝日新聞社1999年07月-

『創造された古典』(書評)

日本経済新聞1999年06月-

小森陽一『世紀末の予言者・夏目漱石』(書評)

すばる1999年06月-

内田道雄『夏目漱石−『明暗』まで』

日本文学1999年03月-

北杜夫/村上春樹

国文学(臨時増刊号・現代の作家・ガイド)1999年02月-

テクスト・主体・植民地

漱石研究111998年11月-

漱石は『小説』といかに格闘したか

アエラムック 漱石がわかる/朝日新聞社1998年09月-

津島祐子『火の山−山猿記』(書評)

図書新聞1998年08月-

読むことのセクシュアリティー 『人間失格』

ユリイカ(臨時増刊号)1998年06月-

ジェンダー化する代助

漱石研究101998年05月-

地図の上の自我−『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

国文学(臨時増刊号)1998年02月-

ゆらぎの中の家族

漱石研究91997年11月-

結婚のためのレッスン 『由利旗江』

国文学1997年10月-

同人誌時評(連載)

図書新聞1997年09月-1998年06月 

リービ英雄『アイデンティティーズ』(書評)

週間読書人1997年07月-

『母の崩壊』再考

日本近代文学会大会1997年05月-

転移する夢

漱石研究81997年05月-

主婦の記号学

成城国文学論集251997年03月-

『叫び声』『個人的な体験』

国文学(臨時増刊号)1997年02月-

『漱石全集(「道草」草稿)』

岩波書店261996年12月-

テクストはまちがわない(*本文校訂論)

成城文芸1561996年12月-

学界時評 近代 夏目漱石

文学・語学1531996年12月-

気質と文体

漱石研究71996年12月-

テクストはまちがわない

中上健次全集/集英社15(月報)1996年08月-

井上ひさし『百年戦争』/武田泰淳『富士』

国文学(臨時増刊号)1996年07月-

『こゝろ』のかたち

漱石研究61996年05月-

『こゝろ』論の彼方へ(研究史)

漱石研究61996年05月-

テクストはまちがわない(*『こゝろ』論)

漱石研究61996年05月-

テクスト論はなにを変えるか(*『羅生門』論)

国文学1996年04月-

小森陽一『漱石を読みなおす』(書評)

成城国文学121996年03月-

論争家としての柄谷行人

国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)1995年12月-

『明暗』から見た明治

漱石研究51995年11月-

長男の記号学

漱石研究51995年11月-

千種・キムラ・スティーブン『三四郎』の世界(書評)

週間読書人1995年08月-

構造と批評

国文学1995年07月-

本文校訂と中上文学

すばる1995年07月-

手紙−その開かれたかたち

語文921995年06月-

手紙の記号学

語文921995年06月-

中上健次全集

集英社3,6,7,10,12,141995年05月-1996年07月 

宙吊りにされた世界

漱石研究41995年05月-

読者論とは何か(他2項目)

国文学1995年05月-

夏目漱石研究の回顧

国文学解釈と鑑賞1995年04月-

『屋根裏の散歩者』

国文学解釈と鑑賞1994年12月-

手紙の記号学

日本大学国文学会大会1994年12月-

神経衰弱の記号学

漱石研究31994年11月-

動く女と動かない女−漱石文学の女性たち

漱石研究31994年11月-

『道草』のヒステリー

漱石全集/岩波書店10(月報)1994年10月-

『漱石全集(道草)』第10巻

岩波書店101994年10月-

芳川泰久『漱石論 鏡あるいは夢の書法』(書評)

週間読書人1994年07月-

『総力討論 漱石の『こゝろ』(書評)

日本近代文学会東北支部会報101994年06月-

漱石と階級

早稲田文学1994年06月-

漱石を書く、漱石を読む

漱石研究21994年06月-

家庭/家族

太宰治事典/学燈社1994年05月-

隠す『明暗』・暴く『明暗』

国文学(臨時増刊号)1994年04月-

島田雅彦『漱石を書く』(書評)

図書新聞1994年02月-

漱石自筆原稿「心」(解説)

岩波書店1993年12月-

菊池弘『芥川龍之介』/芹沢俊介『芥川龍之介の宿命』(研究史)

国文学解釈と鑑賞1993年11月-

誘惑論、あるいはヌーディズムの政治学

国文学(臨時増刊号)1993年11月-

『漱石研究』1号〜17号

翰林書房1993年10月-2004年11月 

日本に閉じられない世界で通用する漱石の探究を

漱石研究11993年10月-

博覧会の世紀へ−『虞美人草』

漱石研究11993年10月-

未完の小説

季刊文学4;41993年10月-

枯木灘

国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)1993年09月-

教室の『こゝろ』

日本文学1993年07月-

現象する漱石

季刊文学1993年07月-

三谷邦明『物語文学のディスクール』(書評)

日本文学1993年06月-

読書論・コミュニケーション/身体論・パフォーマンス

国文学1993年05月-

夏目漱石『明暗』(研究史)

国文学解釈と鑑賞1993年04月-

『三四郎』と『明暗』の手紙

東横国文学251993年03月-

小島信夫『漱石を読む』(書評)

週間読書人1993年03月-

夏目漱石をめぐって

批評空間81993年01月-

フェミニズムの現在(研究史)

別冊国文学1992年11月-

宇野千代

国文学1992年11月-

高等教育の中の男たち−『こゝろ』論

日本文学1992年11月-

柄谷行人『漱石論集』(書評)

週間読書人1992年10月-

漱石『こゝろ』の原稿を読む

季刊文学3;41992年10月-

「耐へる」精神

短歌1992年08月-

『夏目漱石論』

国文学1992年07月-

『行人』−階級のある言葉

国文学1992年05月-

魚住陽子『雪の絵』(書評)

週間読書人1992年04月-

持続する結末−『明暗』と『續明暗』の間

東横国文学241992年03月-

竹盛天雄『漱石 文学の端緒』(書評)

季刊文学1992年01月-

教科書の中の阿部昭

阿部昭集/岩波書店6(月報)1991年10月-

身体の中の〈家〉(*川端康成論)

国文学解釈と鑑賞1991年09月-

近代文学瞥見(連載)

海燕1991年07月-1992年07月 

『明暗』と『續明暗』

日本近代文学会例会1991年06月-

性別のある場所(*吉本ばなな論)

国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)1991年05月-

語ることの物語−夏目漱石『彼岸過迄』

国文学解釈と鑑賞1991年04月-

『パノラマ島奇談』論

国文学1991年03月-

家族の神話−太陽族の文学

東横国文学231991年03月-

藤井淑禎『不如帰の時代』(書評)

国文学会食と鑑賞1991年02月-

血統の神話(*『彼岸過迄』論)

季刊文学1991年01月-

〈家〉の不在−『門』論

日本の文学81990年12月-

池内輝雄『志賀直哉の領域』(書評)

国文学1990年12月-

夏目漱石における男と女

国文学解釈と鑑賞1990年09月-

『少女病』を読む(共著)

季刊文学1990年07月-

方法

夏目漱石事典/学燈社1990年07月-

漱石を知るためのブックガイド」及び編集協力

新文芸読本夏目漱石/河出書房新社1990年06月-

丸谷才一/村上龍

国文学(臨時増刊号・現代作家便覧)1990年05月-

〈家〉の文法(*島崎藤村論)

国文学解釈と鑑賞1990年04月-

『三四郎』の再検討

国文学言語と文芸1051990年01月-

シンポジウム『三四郎』の再検討(共著)

国文学言語と文芸1051990年01月-

化鳥

国文学解釈と鑑賞1989年11月-

石崎等『漱石の方法』(書評)

週間読書人1989年09月-

岳父の影−『道草』

東横国文学211989年03月-

相原和邦『漱石文学の研究』(書評)

国語と国文学1988年12月-

『明暗』論−修身の〈家〉・記号の〈家〉−

国文学解釈と鑑賞1988年10月-

反転するテクスト

文芸と批評1988年10月-

反転する感性−『暗夜行路』論

日本近代文学391988年10月-

作られた恋−『三四郎』

大塚国語国文学会大会1988年09月-

次男坊の記号学(*夏目漱石論)

国文学解釈と鑑賞1988年08月-

平岡敏夫『漱石研究』(書評)

日本文学1988年08月-

反転するテクスト−『暗夜行路』

日本近代文学会大会1988年05月-

『こゝろ』(研究史)

近代小説研究必携2/有精堂1988年04月-

『三四郎』(研究史)

近代小説研究必携1/有精堂1988年04月-

安部公房「壁」−S・カルマ氏の犯罪・〈パパ〉の崩壊

国文学(臨時増刊号)1988年03月-

『明暗』

国文学解釈と鑑賞1987年10月-

制度としての「研究文体」

日本近代文学371987年10月-

昭和後期の評論 奥野健男『太宰治』

日本文芸鑑賞事典/ぎょうせい161987年06月-

漱石・身体論的視点から/漱石・都市論的視点から(研究史)

国文学1987年05月-

漱石研究文献目録(共編)

国文学1987年05月-

反=家族小説としての『それから』

東横国文学191987年03月-

『坊つちやん』の山の手

文学1986年08月-

主要参考文献目録

それから/角川文庫1986年06月-

書き出しの美学−「アパアトと女と僕と」小論−

龍胆寺雄全集12(月報)1986年06月-

越智治雄『漱石と文明 文学論集2』

日本文学1986年05月-

アイデンティティ(他5項目)

文学教育基本用語辞典/明治図書1986年04月-

鏡の中の『三四郎』

東横国文学181986年03月-

漱石研究文献目録(共編)

国文学1986年03月-

悪魔(他36項目)

芥川龍之介事典/明治書院1985年12月-

主要参考文献目録(共編)

芥川龍之介事典/明治書院1985年12月-

『こゝろ』のオイディプス−反転する語り

成城国文学11985年03月-

眼差としての他者−『こゝろ』論−

東横国文学171985年03月-

『夢十夜』における他者と他界

東横国文学161984年03月-

『道草』における健三の対他関係の構造

日本近代文学291982年10月-

参考文献目録(共編)

一冊の講座芥川龍之介/有精堂1982年07月-

叙述形態から見た「道草」の他者認識

成城国文41980年10月-

書籍等出版物

反転する漱石

青土社1997年 11月-

秘伝 中学入試国語読解法

新潮選書1999年 03月-

漱石の記号学

講談社選書メチエ1999年 04月-

教養としての大学受験国語

ちくま新書2000年 07月-

小説入門のための高校入試国語

NHKブックス2002年 04月-

大学受験のための小説講義

ちくま新書2002年 10月-

テクストはまちがわない 小説と読者の仕事

筑摩書房2004年 03月-

漱石と三人の読者

講談社現代新書2004年 10月-

評論入門のための高校入試国語

NHKブックス2005年 03月-

『こころ』大人になれなかった先生

みすず書房2005年 07月-

国語教科書の思想

ちくま新書2005年 10月-

Jポップの作詞術

生活人新書(NHK出版)2005年 11月-

学生と読む『三四郎』

新潮選書2006年 03月-

大学生の論文執筆法

ちくま新書2006年 06月-

百年前の私たち

講談社現代新書2007年 03月-

未来形の読書術

ちくまプリマー新書2007年 07月-

秘伝 大学受験の国語力

新潮選書2007年 07月-

謎とき 村上春樹

光文社新書2007年 12月-

中学入試国語のルール

講談社現代新書2008年 03月-

ケータイ小説は文学か

ちくまプリマー新書2008年 06月-

受験国語が君を救う!(「14歳の世渡り術」シリーズ)

河出書房新社2009年 03月-

国語教科書の中の「日本」

ちくま新書2009年 09月-

名作の書き出し 漱石から春樹まで

光文社新書2009年 09月-

読者はどこにいるのか 書物の中の私たち

河出ブックス2009年 10月-

あの作家の隠れた名作

PHP新書2009年 11月-

漱石はどう読まれてきたか

新潮選書2010年 05月-

近代という教養 文学が背負った課題

筑摩選書2013年 01月-

『こころ』から読みなおす漱石文学 大人になれなかった先生(朝日文庫・増補版)

朝日新聞出版2013年 06月-

教養として読む現代文学

朝日新聞出版2013年 10月-

夏目漱石『こころ』をどう読むか(責任編集)

河出書房新社2014年 05月-

打倒! センター試験の現代文

ちくまプリマ−新書2014年 07月-

夏目漱石『三四郎』をどう読むか(責任編集)

河出書房新社2014年 10月-

新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇(監修)

新潮文庫2014年 11月-

教科書で出会った名句・名歌三〇〇(監修)

新潮文庫2015年 02月-

なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか−「誤配」で読み解く近代文学

集英社新書2015年 03月-

生き延びるための作文教室

石原千秋(単著)

河出書房新社2015年 07月-

詳細

単行本(一般書)総ページ数:222

読むための理論(共著)

世織書房1991年 06月-

日本文学研究資料叢書 夏目漱石III(編集)

有精堂1985年 07月-

日本文学研究資料新集 夏目漱石・反転するテクスト(編集)

有精堂1990年 04月-

岩波文学館 夏目漱石(CD-ROM版)(編集)

岩波書店1994年 02月-

日本文学研究資料叢書 安岡章太郎・吉行淳之介(編集)

有精堂1983年 11月-

講座昭和文学史 全5巻(編集)

有精堂1988年 03月-1989年 05月

漱石を語る 1、2(共著)

翰林書房1998年 12月-

講演・口頭発表等

漱石「心」を再読する(シンポジウム)

言語と文芸の会 2009年度大会2009年12月

詳細

口頭発表(一般)

「正しさ」の村上春樹論的転回(シンポジウム「村上春樹と小説の現在−記憶・拠点・レスポンシビリティ−」)

日本近代文学会関西支部春季大会2010年06月

詳細

口頭発表(一般)

漱石の近代とテクスト論

2010年世界日本語教育大会(「日本文学部門」基調講演)2010年08月

詳細

口頭発表(一般)

宗教としての研究−教室で文学は教えられるか

日本文学協会第69回(214年度)大会2014年11月16日

詳細

口頭発表(一般)

外部研究資金

科学研究費採択状況

研究種別:

明治・大正期文学の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

2014年-0月-2017年-0月

配分額:¥4420000

研究種別:

明治・大正期の中産階級読者から見た漱石文学の「新しさ」に関する構造的研究

2011年-0月-2014年-0月

配分額:¥5070000

研究種別:

明治・大正の誕生期における大衆的言説のジェンダー構成に関する文学的研究

配分額:¥4550000

研究種別:

漱石文学における「読者の期待の地平」取り込みの構造に関する研究

配分額:¥2580000

研究種別:

明治・大正期文学の内面叙述における「ジェンダー・トラブル」に関する総合的研究

2017年-0月-2020年-0月

配分額:¥4420000

学内研究制度

特定課題研究

「朝日新聞」紙面から読む漱石文学の読者論的研究

2011年度

研究成果概要: 夏目漱石が「朝日新聞」の専属作家となったのは明治40年で、はじめての連載小説は6月23日から10月29日までの『虞美人草』である。「朝日新聞」は当初は下町の町人階層がマーケットだったが、しだいに層を厚くし始めた山の手の中産階級に... 夏目漱石が「朝日新聞」の専属作家となったのは明治40年で、はじめての連載小説は6月23日から10月29日までの『虞美人草』である。「朝日新聞」は当初は下町の町人階層がマーケットだったが、しだいに層を厚くし始めた山の手の中産階級にターゲットを切り替えた。それには知的な紙面作りが必要だったが、その象徴が夏目漱石を専属作家にすることだった。したがって、夏目漱石には「朝日新聞」の読者を満足させる職業的義務があったのである。しかし、この『虞美人草』ではそれに失敗したと考えている。 もともと『虞美人草』失敗説は少なくない。夏目漱石は『虞美人草』を、直接的には小栗風葉の女学生小説『青春』を意識して書いたことはすでに明らかにされているが、おそらくは明治30年代に大流行した家庭小説をも意識して書いたと思われる。漱石十八番となる遺産相続小説だからである。遺産相続が問題となるのは中産階級以上の階級であって、これが山の手の読者への配慮だったことは、ほぼ間違いがないと考えている。しかし、『虞美人草』は読者論的に見て、成功しなかった。その原因は、夏目漱石が『虞美人草』を家庭小説好みの勧善懲悪の哲学で書ききってしまったことにある。その結果、近代的な女性であるヒロインの藤尾を自殺させ、夏目漱石の弟子たちをいたく失望させたのである。これが失敗の原因だった。ただし、これは夏目漱石の身近にいた読者の問題だと言っていい。 読者論的には、もう一つのレベルの失敗があった。それは、明治40年の3月から7月まで上野公園で開催された博覧会を、おそらく読者サービスの一環として物語の背景に書き込みながら、『虞美人草』ではそれを「近代」の象徴として批判してしまったのである。しかし、世の中も、またおそらく「朝日新聞」の読者も、「近代」に憧れていたし、博覧会をその「近代」の象徴として歓迎し、楽しんでいたのである。事実、「朝日新聞」では3月のはじめから博覧会情報を連日コラムで報道し、博覧会への期待を盛り上げていた。試みに博覧会初日の3月20日の紙面から引用してみよう。「会場より袴越しまでの通路両側には新設の瓦斯燈煌々と輝き渡り」とか、「イルミネーションを試点して大に群衆を喜ばせたり」といった記述が見られる。 ところが夏目漱石は、博覧会を死すべき女性である藤尾と重ね、嫌悪すべきイベントとして書いてしまったのである。たとえば、博覧会に集まる群衆を「蟻」にたとえ、イルミネーションに集まる群衆を「蛾」にたとえて書いてしまった。これでは先に引用した「朝日新聞」の記述と相容れない。読者論的に言えば、「朝日新聞」の記事に誘われてすでに博覧会を訪れた読者は、その数ヶ月後の『虞美人草』の、まるで自分対が批判されているような記述を読んで違和感を持ったはずである。『虞美人草』の失敗は、たしかに小説構成上は勧善懲悪で押し切ったところにあるが、「朝日新聞」の読者を視野に入れた読者論的に見れば、博覧会の扱いがまちがっていたのである。以後、夏目漱石が「朝日新聞」の記事を小説構成上に活かしながら書くようになったことを思えば、この読者論的な失敗の意味は、漱石文学の理解において大きな意味を持つと考えられる。

村上春樹文学における「正しさ」の意味に関する構造的研究

2013年度

研究成果概要: 「村上春樹文学における「正しさ」の意味に関する構造的研究」の目的は、村上春樹文学において特徴的な使われ方をしている「正しさ」という言葉をキーワードとして、村上春樹文学の(やや単純化して言えば)純文学的側面と通俗文学的側面との融合... 「村上春樹文学における「正しさ」の意味に関する構造的研究」の目的は、村上春樹文学において特徴的な使われ方をしている「正しさ」という言葉をキーワードとして、村上春樹文学の(やや単純化して言えば)純文学的側面と通俗文学的側面との融合のしかたを分析し、村上春樹文学の独自性とその展開の全体像を明らかにするところにある。たとえば都甲幸治氏は座談会で、村上春樹は「保守的」で、「オーソドックスな核家族の形を結果的に反復し肯定している」(『文學界』2010・7)と言う。「正しい」という言葉に注目して村上春樹文学を分析すれば、この意見はかなり実証的に明らかにできるのである。 ある時期までの村上春樹文学では、「正しい」という言葉は「その夜、僕は直子と寝た。そうすることが正しかったのかどうか、僕にはわからない」(『ノルウェイの森』)という現れ方をする。「正しい」という言葉が、「僕」の(あるいはある登場人物の)多くはセックスに関わってアイデンティティの問題として、なおかつ「わからない」という否定形を伴って語られることがほとんどなのである。ところが、そうでない例がごく少数ある。おそらく最も頻度が高く「正しい」という言葉が使われている『国境の南、太陽の西』に1例、かなり頻度が高く使われている『スプートニクの恋人』に1例、「正しい」という言葉が「正しいことではなかった」という否定的な断言の形で、家庭を壊してはいけないという文脈の中で使われているのである。これは、都甲幸治氏の発言を裏付ける事例である。 村上春樹文学では「僕」の性的なことに関しては何が「正しい」かは「わからない」が、家族や社会に関することについてはやや保守的な「正しい」基準があると言っていい。そこで、前者においては「僕って何?」風のアイデンティティに関する問いが倫理的な装いをもって繰り返され、それが村上春樹文学を特徴づけている。これは村上春樹文学を純文学のように見せている。しかしその一方で、既存の家族道徳を守るような「正しい」基準がある。これは村上春樹文学を通俗文学のように見せている。かなり早い時期から村上春樹は二人いたようだ。一人は、倫理的な問いを繰り返してアイデンティティを確認することを試みる村上春樹。もう一人は、世間の道徳に同調する村上春樹。前者は純文学風の相貌を見せ、後者は娯楽小説風の相貌を見せる。しかし、村上春樹の小説はどちらの問いに答えを出すのにふさわしい構成を持っていない。したがって、どちらの問いも宙づりになる。小説は答えを出すものでもないから、どちらつかずの構成が村上春樹の小説の魅力だったと言っていい。 『1Q84』では、「正しい」という言葉はほとんど「正義」の意味で使われている。それが、この小説を娯楽作品に見せている。では、新作長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』においてはどうだろうか。この小説には(否定形も含めて)「正しい」という言葉が全部で6回使われている。そのうち異性に関して使われているのは2回だが、いずれもセックスとは関係がない。そして、残りの4回は特にこれといった意味を持たない。つまり、アイデンティティの問いとも家族の問いとも結びついていない。それでいて、多崎つくるは自分探しの旅に出る。これはある意味で村上春樹の小説では新境地と言ってもいいかもしれない。多くの読者が、この小説にとまどった理由は、こういうところにもあると思われる。

明治・大正期文学の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

2014年度

研究成果概要: 明治期において女性が「問題」となる水準は二通りある。①は、生物学による水準で、「両性問題」となって、女性は「生物学的他者」として定位された。しかし、文学では②の水準が現れていた。それは、「心理的他者」としての女性である。二葉亭四... 明治期において女性が「問題」となる水準は二通りある。①は、生物学による水準で、「両性問題」となって、女性は「生物学的他者」として定位された。しかし、文学では②の水準が現れていた。それは、「心理的他者」としての女性である。二葉亭四迷『浮雲』においても、主人公の内海文三にとってお勢はまちがいなく「心理的他者」だった。『浮雲』の設定を踏まえたとおぼしき尾崎紅葉『金色夜叉』においても、主人公の間貫一にとって鴫沢宮は理解できない「心理的他者」だった。ここに近代文学としての特質がある。中産階級読者は女性を①の水準でとらえながら、そこに収まりきらない面を②の水準で読むことを文学に期待する地平が構成されていったのである。

明治・大正期文学の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

2016年度

研究成果概要: 明治後期に定着した「良妻賢母」思想は、女性の振る舞いとしてはよけいなことは話すな、余計な動きをするな、心を表情に出すなという形を取る。それが、教育を受けた若い女性に強い関心を持った男性知識人にとっては「謎の女」に見えたのである。... 明治後期に定着した「良妻賢母」思想は、女性の振る舞いとしてはよけいなことは話すな、余計な動きをするな、心を表情に出すなという形を取る。それが、教育を受けた若い女性に強い関心を持った男性知識人にとっては「謎の女」に見えたのである。漱石的主人公を「何かについて考える人物」として「小説的主人公」と呼ぶことを提案した。まさに、これが漱石的主人公で、「女の謎」と「漱石的主人公」の誕生は歴史的必然性があったのである。

明治文学における性的表象の研究

2003年度

研究成果概要: 本研究は「読者」というファクターを加えた上で、明治40年当時の文学における性的表象のあり方を明らかにするところにある。具体的には夏目漱石『虞美人草』の性的表象を同時代的言説によって意味づける。 その前提として明治36年にベストセ... 本研究は「読者」というファクターを加えた上で、明治40年当時の文学における性的表象のあり方を明らかにするところにある。具体的には夏目漱石『虞美人草』の性的表象を同時代的言説によって意味づける。 その前提として明治36年にベストセラーとなった小杉天外『魔風恋風』と明治39年にベストセラーとなった小栗風葉『青春』について考察した。この二つの小説がベストセラーとなったのには、明治30年代に急増した女学生へのジャーナリズムによるバッシングが背景にあったと考えられる。正岡芸陽『理想の女学生』(明治36年)、松原岩五郎『女学生の栞』(同)などによっても確認できるように、当時は女学生にあっても「学問」は「よき妻」になるためのものであったので、そこからはずれた生き方を選択しようとすれば「堕落女学生」と呼ばれるしかなかったのである。その結果、『魔風恋風』では「読者の期待の地平」は「堕落するか否か」ではなく「どのように堕落するか」という形で構成されたし、『青春』では「読者の期待の地平」に答えるために、主人公の女学生は自立と引き替えに取り返しの着かない不幸を背負い込むことになるような結末が用意された。 最近の研究で、『虞美人草』は『青春』を意識してかかれたことが明らかにされている。主人公藤尾は女学生ではないが、英語を学ぶ「新しい女」であり、「読者の期待の地平」も女学生への関心の延長線上に構成されたと考えられる。しかし、『虞美人草』では藤尾は自らセクシュアリティーを操作する主体、見られる女ではなく見る女として描かれている。ところが作者漱石は当時の平均的な「読者の期待の地平」を共有していたために、「父」の代理人が藤尾を自殺に追い込む結末しか用意できなかった。その意味で、『虞美人草』は『青春』と「読むことのセクシュアリティー」において通底するものがあるが、それはこの時期の性的表象である「女学生」=「学ぶ女」への嫌悪がかくのごとき「読者の期待の地平」を構成したというのが、現段階での結論である。

入試国語の研究-何が国語力として問われているのか-

2004年度

研究成果概要:日本の入試国語は、高等教育が大衆化する以前と以後とでは大きく性格を異にする。大衆化以前、すなわち戦前期から昭和30年代ごろまでは、古典の現代語訳と知識問題が中心であった。戦後期になって現代文が出題され始めても、本文自体が短く、ある...日本の入試国語は、高等教育が大衆化する以前と以後とでは大きく性格を異にする。大衆化以前、すなわち戦前期から昭和30年代ごろまでは、古典の現代語訳と知識問題が中心であった。戦後期になって現代文が出題され始めても、本文自体が短く、ある程度の知識がなければ本文の前提となっている背景(文脈)が理解できないものばかりである。その意味で、この時期においては、現代文の解釈問題の形式をとっていても、その実はかなりの程度まで知識を問う問題だったと言っていい。これは、高等教育を受ける機会を持てる人間がある階層に限られていたために、その階層には共通の「教養」を求めることができるという前提があったからではないだろうか。しかし、それが知識を問う問題となって形に表れたために、大衆化した高等教育では「知識ばかり問い、思考力を問わない問題」として、批判を浴びることになったのだろう。現在、たとえば文学史に関する問を出題しただけでも、「知識偏重」という批判を浴びなければならなくなったのは、この時代の入試国語への批判が言葉だけ独り歩きしたものではないかと考えている。高等教育が大衆化した昭和30年代以降は、知識を問う問題は極端に減ってきており、その分現代文の本文が長くなった。これは、ある共通の「教養」を持っていることが期待できないので、本文に問題提起の前提までも書き込んであるものを選ばなければならなくなったからだろう。そこで設問も、大きく「情報処理型」と「語り直し型」に分かれることになる。「情報処理型」とは、本文の傍線部について、本文の中から断片化された「情報」をつなげて答えるような設問形式である。これは、本文の論の展開がある程度ルーズな場合に用いられる設問である。「語り直し型」とは、本文の傍線部について、本文の言葉をある程度利用しながら、「自分の言葉」で言い直すような設問形式である。これは、本文の言い回しが高度であったり、舌足らずであったりする場合に用いられる設問である。いずれにせよ、大衆化以前の本文と比べると、知識を問えない以上、論理の展開も格段に高度で、かつ文章が適度に悪文であることが本文に求められるようになった。「教養」の崩壊を前にして、入試国語が変質を余儀なくされたのである。なお、本研究の直接の成果ではないが、間接的に関わり、本研究の中間報告的な性格を持つものとして、『評論入門のための高校入試国語』(NHKブックス、2005年3月)を刊行したことを付け加えておく。

明治30年代文学と漱石文学との「読者の期待の地平」取り込み構造の違いに関する研究

2006年度

研究成果概要: 本研究の目的は、明治30年代に流行した小説の表現と、明治40年代に発表された夏目漱石の前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)との表現の質の違いを、「読者の期待の地平」取り込み構造の違いという観点から明らかにするところにある。... 本研究の目的は、明治30年代に流行した小説の表現と、明治40年代に発表された夏目漱石の前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)との表現の質の違いを、「読者の期待の地平」取り込み構造の違いという観点から明らかにするところにある。 そこで本研究では、これまでほとんど行われてこなかった、漱石の「読者の期待の地平」取り込み構造(簡単に言えば、漱石が「読者」のレベルをどのように見積もって書いていたかということである)を明らかにし、それを明治30年代に流行した小説表現と比較することで、漱石の小説表現の到達度と、その独自性を明らかにする方法を採用した。なぜこのような方法が有効なのかといえば、それは文学が「読者」の存在を無視しては成り立たち得ないからである。「読者」が文学表現から何を読み取り、何を読み取れないのかを分析することで、その文学表現の質がある程度測定できると考える。 これにはかなりの困難が予測される。それは、当時の一般の「読者」が小説表現をどう読んだかという直接的な情報がまったくないからである。そこで本研究では、明治期のいわゆる「雑書」と呼ばれる雑多な本(一般の研究者からは、レベルの低さ故に顧みられることのほとんどなかった本)を大量に分析することで、「こういう常識を持っていた「読者」なら、小説表現をこういう風に読んだだろう」と推定する方法を用いた。それを漱石が「読者の期待の地平」として小説表現に取り込んでいったプロセスを明らかにした。 一例を挙げておこう。明治30年代に一世を風靡した女学生小説に小杉天外『魔風恋風』と小栗風葉『青春』がある。これらは、いずれも「上京した女学生」を主人公にしていた。そこで、当時刊行されていた『女子遊学案内』のたぐいを参照すると、当時は「上京した女学生」は「堕落」(性的な堕落)するものと相場が決まっているかのような言説が多かったことがわかる。もちろん、新聞でもそういう言説が女学生に浴びせかかられていた。事実の問題ではなく、そういう言説が「読者」にある「期待の地平」を形成させただろうということが肝心なのである。また、一方では「女学生」に「良妻賢母」の予備軍となれという言説も数多く現れていた。下田歌子のように「自我の撲滅」こそが女子教育の目的だと説く者まで現れたのである。 こうした、「本音」の言説と「建前」の言説とが鬩ぎ合っている状況の中で、おそらく「読者」は「本音」に沿った展開を小説に期待しただろう。すなわち、これらの主人公がどういう風に「堕落」するだろうと「期待」して読んだと思われる。一方、明治40年代に書かれた漱石の『門』では、ヒロインの「お米」は主人公の友人である安井と内縁関係にあるが、女学生だった「お米」はおそらく安井と駆け落ちをしたのだろうと推測される。しかし、漱石はそのことをはっきり書いていない。つまり、明治30年代の小説が「読者の期待の地平」をそのまま小説化しているのに対して、漱石はそれを「利用」して「読者」の想像力を機能させるように書いているのである。ここに、明治30年代の小説と漱石の小説との明らかな表現の質の違いがある。 また、明治期に流行った「学問」に骨相学があるが、明治30年代の小説の登場人物はその容貌の記述を読めば、小説中の役割や性格がわかってしまうものが少なくなかった。しかし、漱石の小説はそういった傾向がかなり弱まっている。あるいは、「骨相学」的なパラダイムを逆手にとって、小説中の役割を演じさせる場合も少なくない。 多くの雑書の分析の結果、こうした小説表現の質の違いがほぼ明らかになった。その中間報告として、雑書の言説と漱石文学との関わりを論じた『百年前の私たち』(講談社現代新書、2007年3月)を刊行した。

明治・大正期の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

2015年度

研究成果概要: 夏目漱石は「女の謎」を書き続けた作家である。漱石は明治40年に朝日新聞社の専属作家となったが、実はこれが漱石が作家生涯を通して「女の謎」を描き続けることになった物理的な条件だったのである。  漱石は自分に与えられた義務に忠実に、... 夏目漱石は「女の謎」を書き続けた作家である。漱石は明治40年に朝日新聞社の専属作家となったが、実はこれが漱石が作家生涯を通して「女の謎」を描き続けることになった物理的な条件だったのである。  漱石は自分に与えられた義務に忠実に、山の手の男性読者に向けて山の手を書いた小説を発表し続けた。その方法の一つとして、漱石は「女の謎」を書き続けたのである。それは、山の手の住む知識人男性が、女学校出の教育を受けた女性を知りたいのに知る方法を知らないために「謎」に見えたからでもある。               

読者から見た明治30年代の「家庭小説」と漱石文学との比較研究

2010年度

研究成果概要: 「朝日新聞」専属作家としての漱石が意識せざるを得なかった先行の小説ジャンルは、少なくとも2種類あると思われる。いずれも明治30年代に新聞連載小説として大流行したもので、第一は女学生小説であり、第二が家庭小説である。第一に関しては... 「朝日新聞」専属作家としての漱石が意識せざるを得なかった先行の小説ジャンルは、少なくとも2種類あると思われる。いずれも明治30年代に新聞連載小説として大流行したもので、第一は女学生小説であり、第二が家庭小説である。第一に関しては、漱石の小説には女学生はほとんど登場せず、かつて女学生だった女性が重要な登場人物となっている。漱石は、いわば「ポスト=女学生小説」を書き続けたのである。本研究のテーマである第二に関しては、漱石が遺産相続を巡る物語を書き続けたことをあげることができる。これは漱石が学んだイギリス文学の影響もあるだろうが、日本の家庭小説への対抗意識があったのではないだろうか。 明治30年代に大流行した家庭小説には、大きな特徴がある。それは、あえて乱暴にまとめれば、不倫、離婚、堕胎が3大アイテムとして使われる荒唐無稽とも言っていい物語が展開される一方で、結末では幸せな家庭に落ち着くことである。これは、やや突飛な連想だが、「売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺」といったアイテムによって荒唐無稽な物語が展開されながら、結末には「真実の愛」が用意され、ホモ・ソーシャルの枠組みにすっぽり収まるケータイ小説とよく似たところがある(石原千秋『ケータイ小説は文学か』ちくまプリマ-新書、2008・6)。しかし、数年前に大流行したケータイ小説の結末が古い道徳に収まっていると感じられるとすれば、明治30年代に大流行した家庭小説の結末は「家庭=スイート・ホーム」という新しさを感じさせたはずである。同じように家庭を舞台としながら、漱石はそれとは違った新しさを書かなければならなかったのである。 最近の研究では、家庭小説は理想的な家庭に古い型のロマンスを持ち込んだものだとされている。「理想的な家庭」とは新しさのことであり、そこに落ち着くまでの物語を支えるのは古風なロマンスだということである。一方、漱石の小説はこの系譜を継ぐ面もあるが、あえて言えば、理想的でない家庭に新しいロマンスを持ち込んだものである。そこに家庭小説とは異なった軋みが生じているが、その軋みは個人としての愛を際立たせる役割を果たしている。そして漱石文学において、その軋みを生み出すほとんど唯一の装置=アイテムが遺産相続を巡る物語だったのである。これは当時の「朝日新聞」の読者層、すなわち「遺産」に値する財産を持つことができた新興中産階級に合わせたものだったとも言うことができる。それが、朝日新聞社の専属作家だった漱石の職業意識だったのである。 なおこれらの成果は、『漱石へ-ポスト=女学生小説の誕生』として刊行すべく準備中である。漱石の小説は「ポスト=家庭小説」でもあるわけなので、タイトルは仮題である。 

現在担当している科目

科目名開講学部・研究科開講年度学期
現代小説の楽しみ教育学部2019春学期
文学の近代教育学部2019秋学期
新国語教育講座教育学部2019秋学期
新国語教育講座大学院教育学研究科2019秋学期
日本文学基礎演習II B教育学部2019秋学期
日本文学基礎演習II F教育学部2019春学期
ゼミナール J教育学部2019通年
近代文学演習II C教育学部2019通年
近代文学I A教育学部2019春学期
国文学研究指導(M-1)(石原)大学院教育学研究科2019春学期
国文学研究指導(M-2)(石原)大学院教育学研究科2019秋学期
国文学演習(近代文学)(M1-1)(石原)大学院教育学研究科2019春学期
国文学演習(近代文学)(M1-2)(石原)大学院教育学研究科2019秋学期
国文学演習(近代文学)(M2-1)(石原)大学院教育学研究科2019春学期
国文学演習(近代文学)(M2-2)(石原)大学院教育学研究科2019秋学期
国語科内容学研究指導(D-1)(石原)大学院教育学研究科2019春学期
国語科内容学研究指導(D-2)(石原)大学院教育学研究科2019秋学期
近代文学研究演習(D-1)(石原)大学院教育学研究科2019春学期
近代文学研究演習(D-2)(石原)大学院教育学研究科2019秋学期

作成した教科書・教材・参考書

国語総合、現代文。

1990年04月

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概要:第一学習社刊行の高校国語の教科書。

教育方法・教育実践に関する発表、講演等

夏目漱石『三四郎』の読者について発表

2004年04月

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概要:早稲田大学国語教育学会において、夏目漱石『三四郎』の読者が3層に分かれていたことに関して、発表する。

図書館に関するシンポジュームの基調講演

2004年05月

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概要:朝日新聞社主催のシンポジューム「図書館ルネッサンス」において、図書館という空間の哲学について基調講演をする。

杉並区のアドバイザー

2004年06月

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概要:杉並区が小中一貫校を作るに当たって、国語教育の立場からアドバイスをする。

夏目漱石『三四郎』の教え方に関する講演

2004年06月

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概要:栃木県高等学校国語研究大会において、夏目漱石『三四郎』を、読者という観点から、最新の研究をふまえた教え方について講演する。

評論文と説明文の教え方の違いに関する講演

2004年11月

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概要:九州地区高等学校国語教育研究大会で、評論文と説明文の教え方の違いを、その成り立ちの違いにまでさかのぼって講演する。

夏目漱石『こころ』の教え方に関する講演

2004年12月

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概要:淑徳学園高校の国語教師に、夏目漱石『こころ』の最新の研究成果をふまえた教え方を講演する。

評論にとって「論理」とは何か

2005年07月

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概要:東京都立戸山高校において、大学受験の入試国語の解き方を、前田愛の評論を例に解説。入試国語を解くためには、思想的な理解が必要なことを説明した模擬授業。

評論文と文学作品の教え方の違いに関する講演

2005年07月

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概要:東京都10年教員研修で、評論文の読者と文学作品の読者との違いを中心に、教え方を講演した。

評論文の教え方に関する講演

2005年07月

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概要:全国私立高等学校国語研修会で、現代思想の流れをふまえた評論文の教え方を講演した。

『こころ』を読むこと、『こころ』を教えること

2006年01月

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概要:北海道高等学校教育研究会第43回大会国語部会で、標記の講演を行う。

教室で漱石を読む 『こころ』大人になれなかった先生− 『テクスト分析』の最前線−

2006年01月

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概要:2005年度国語教育研究会第2回全県研究会(長野県)で、教室で定番教材の『こころ』をどう教えるかを、講演した。

大学で「文学」を教えるということ

2006年10月

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概要:拓殖大学人文科学研究所主催の研究会で、特に文学部以外の学部で「文学」を教える意義について講演した。

現代思想は15年周期

2007年06月

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概要:国語を学習する前提として、「現代文」に関しては、戦後の現代思想がほぼ15年周期で推移していることを、桐光学園の生徒に講演した。

大学受験から見た国語力

2007年06月

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概要:大学受験国語で問われる「国語力」を基準として、ふだんの国語との違いを測定した講演をした。場所は佐賀県、対象は小学校と中学校の教員。

現代思想から見た国語教育

2007年07月

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概要:「福島県県北地区高等学校国語教育研究会」において、現代思想と国語教育との関わりについて講演する。

これからの国語教育と子供の個性

2007年11月

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概要:神奈川県相模原市立大沼小学校にて、県内の小学校教員を対象に、「話す・聞く」にシフトしてきた最近の国語教育の課題について講演する。

研究授業への講評と講演

2008年02月

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概要:杉並区松ノ木中学校において行われた東京都中学校国語教育研究会大会の研究授業への講評と短い講演。

教養としての大学受験国語

2008年09月

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概要:埼玉県立所沢高校の生徒さんに、評論の読み方やその背景まで理解する必要性を、模擬講義した。

考えるヒント−感覚から論理へ−

2008年09月

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概要:桐朋中学・高校で保護者を対象に、「言語論的転回」以降の思考方法を講演する。

文学教育と目に見えない学校空間

2009年02月

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概要:杉並区の小学校の教員約300名に、文学教材の教育方法について講演する。

国語表現プログラムの開発

2009年04月

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概要:法政中学高校において「中等教育から高等教区へ繋げるための国語表現プログラムの開発」(正式名称)の「研究指導者」を務める。

国語教育における言葉

2009年05月

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概要:「静岡県国語教育研究会」で、講演。

高校生と文学−ケータイ小説から入試国語まで−

2009年07月

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概要:「福島県高等学校司書研修会県大会」で、講演。

小中高一貫教育の可能性

2009年08月

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概要:立命館小中高の教員に、表題のテーマについて、また国語科の教員に、特に文学教育を中心に講演する。

時代の中の漱石

2009年11月

詳細

概要:「平成21年度 第60回福島県立高等学校国語教育研究会」において、標題の講演を行う。

表現の哲学

2009年11月

詳細

概要:「東京私立中学高等学校公開研究発表会 事前講演会」および「全国私立大学附属・併設 中学校・高等学校 教育研究集会 分科会」として、夏目漱石『こころ』を素材に標題の講演を行う。

女性が謎だった時代の漱石文学

2010年03月

詳細

概要:光塩女子学院高等学校の「教養演習講演会」で、表記のテーマで同時代から見た漱石文学について講演した。

『こころ』の中、『こころ』の外

2010年09月

詳細

概要:新潟県県立教育センターにおいて、高校国語の授業実践へのヒントとして、高校の国語科の先生方に標題の講演と質疑を行った。

教材『マザー・テレサ』授業のアドバイス。

2010年09月

詳細

概要:東京都北区立王子第三小学校において、『マザー・テレサ』の授業を教員の皆さんと見学し、その教員の皆さんにアドバイスをする。

文学の言葉を読む

2010年10月

詳細

概要:秋田県立角館高等学校において、全校生徒さんに、芥川龍之介『羅生門』を題材にして、文学テクストの読み方について講演。

教室で小説を教えるということ

2011年02月

詳細

概要:西武文理中学・高等学校の国語科の先生方に、芥川龍之介『羅生門』の教え方について話をし、その後、討論を行う。

「漱石文学」について講演

2011年08月

詳細

概要:全国高等学校国語教育研究連合会・第44回研究大会(於:二松学舎大学)で、「漱石文学」と題して、時代の中の漱石文学について講演する。

漱石文学−『こころ』を中心に−

2011年12月

詳細

概要:「埼玉県高等学校国語科教育研究会 平成23年度秋季大会講演会」において、標記の講演を行う。

漱石文学と遺産相続−『こころ』へ−

2012年08月

詳細

概要:東京都高等学校国語教育研究会・平成24年第4回協議会において、表記のテーマで講演する。

国語教育と受験の間

2013年08月

詳細

概要:「日本大学付属高等学校等夏季教科研修会(国語)」において、標記のテーマで講演する。

漱石『こころ』と文学の豊かさ

2013年10月

詳細

概要:平成25年度熊本県高等学校教育研究会国語部会で、標記の講演を行う。

言葉と文学のあいだ

2013年11月

詳細

概要:小石川中等教育学校において、生徒・保護者・教員に標記のテーマで講演。

読書と教養

2014年02月

詳細

概要:東京都市大学等々力高等学校で、生徒さんに標記の講演。

近代資本主義と『こころ』

2014年06月

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概要:山梨県立高等学校国語研究部会で、高等学校の国語科の先生方に標記の講演。

大学受験のための国語力

2014年10月

詳細

概要:「平成26年度新潟県高等学校研究教育会国語部会」において、標記の講演を行う。

教科書教材の新たな視点―『こころ』―

2015年

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概要:神奈川県立高等学校国語科の先生方に、『こころ』の教材としての新しい読み方について講演。

その他教育活動

レポートの添削とコメント

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概要:通年の授業では8千字以上のレポートを年に4回課し、すべて句読点に至るまで添削し、コメントを付して返却している。半期の授業は3回課している。また、場合によっては再提出をさせている。これによって、学生の文章力と論文構成力が格段にアップした。