氏名

ハセ マサト

長谷 正人

職名

教授 (https://researchmap.jp/read0205435/)

所属

(文化構想学部)

連絡先

メールアドレス

メールアドレス
mhase@waseda.jp

URL等

研究者番号
40208476

本属以外の学内所属

兼担

文学学術院(大学院文学研究科)

研究院(研究機関)/附属機関・学校(グローバルエデュケーションセンター)

商学学術院(商学部)

学内研究所等

文化社会研究所

プロジェクト研究所所長 2008年-2012年

学歴・学位

学歴

-1983年 早稲田大学 文学部 社会学専攻
-1986年 大阪大学 人間科学研究科 社会学

所属学協会

日本社会学会 研究活動委員

日本映像学会 機関誌『映像学』編集委員

研究分野

キーワード

社会学(含社会福祉関係)

研究テーマ履歴

写真・映画・テレビの社会的受容をめぐる研究

個人研究

映像の存在論的考察

個人研究

論文

テレビジョン、生活革命、子どもの民主主義

長谷正人

月刊民放45(8)p.12 - 152015年08月-

大量消費社会とパーソナル文化

長谷正人

世界思想(42)p.18 - 222015年04月-

アウラとしてのテレビジョン─1950年代のテレビ受容をめぐって

長谷正人

早稲田大学文学研究科紀要60p.21 - 352015年03月-

「男・健さんどこへ行く」─任侠映画以降の高倉健

長谷正人

ユリイカ2月号47(2)p.88 - 962015年02月-

反=接吻映画としての『晩春』─占領政策と小津安二郎

長谷正人

ユリイカ11月臨時増刊号45(15)p.175 - 1872013年10月-

「パーソナルな文化」としてのテレビドラマ─山田太一とサリンジャー

長谷正人

kAWADE夢ムック文藝別冊総特集山田太一p.204 - 2112013年05月-

お茶の間に仕掛けたメディア的“罠”

長谷正人

寺山修司の迷宮世界(洋泉社MOOK)p.80 - 832013年05月-

ドラマご馳走主義の作家

長谷正人

文藝別冊 木皿泉 物語る夫婦の脚本と小説(河出書房新社)p.133 - 1392013年04月-

テレビ時代の映画──木下惠介のテレビ作品を歴史的に位置づける

長谷正人

NFCニューズレター(105)p.3 - 52012年10月-

日常的体験としてのテレビドキュメンタリー

長谷正人

neoneo(1)p.30 - 312012年09月-

書評 蓮實重彦『映画時評 2009−2011』

長谷正人

映画芸術(440)p.149 - 1502012年07月-

概観2011年(映像)

長谷正人

文藝年鑑2012p.130 - 1332012年06月-

山田太一、あるいは「愚痴の公共圏」の可能性

長谷正人

ユリイカ44-5p.97 - 1042012年05月-

映像のフィジカル─飼いならせない野性の映像のために(対談)

諏訪敦彦×長谷正人

第4回恵比寿映像祭「映像のフィジカル」カタログp.12 - 292012年02月-

現代落語という矛盾─落語的な「弱い生」をめぐって

長谷正人

ユリイカ(特集立川談志)44-2p.186 - 1962012年02月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(最終回)敗者の想像力

長谷正人

GALAC177p.38 - 412012年02月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第24回)「墓場の島」、あるいはアイドル引退宣言のドラマ

長谷正人

GALAC175p.40 - 432011年12月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第23回)「三人家族」、あるいは悔やむ恋愛劇

長谷正人

GALAC174p.40 - 432011年11月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第22回)終わった後からドラマが始まる

長谷

GALAC173p.42 - 452011年10月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第21回)終りに見た街

長谷正人

GALAC172p.38 - 412011年09月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第20回)本当と嘘とキツネ

長谷正人

GALAC170p.40 - 432011年07月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第19回)テレビの声を捜して

長谷正人

GALAC169p.36 - 402011年06月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第18回)「異人たちとの夏」、あるいは優しい幽霊たち

長谷正人

GALAC168p.36 - 392011年05月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第17回)「日本の面影」、敗者の思想としての怪異譚

長谷正人

GALAC167p.38 - 412011年04月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第16回)キツネに化かされる話

長谷正人

GALAC166p.36 - 392011年03月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第15回「あめりか物語」、あるいはドラマにおける一般性と固有性)

長谷正人

GALAC165p.38 - 412011年02月-

メディアはなぜあるのか

長谷正人

マス・コミュニケーション研究(78)p.3 - 182011年01月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第14回)「シャツの店」、鶴田浩二というキャラクター

長谷正人

GALAC(163)p.36 - 392010年12月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第13回)「想い出づくり」、キャラが立つこととリアリズム

長谷正人

GALAC(162)p.36 - 392010年11月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第12回)テレビドラマとポストモダン

長谷正人

GALAC(161)p.36 - 392010年10月-

画面が切り開く「遊動空間」の可能性(書評・中村秀之『瓦礫の天使たち』せりか書房』)

長谷正人

図書新聞2983p.82010年09月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第11回)輝きたいの

長谷正人

GALAC(160)p.36 - 402010年09月-

敗者の想像力──脚本家山田太一(第10回)内気な青年、あるいは後衛的ヌーヴェル・ヴァーグ

長谷正人

GALAC(158)p.40 - 432010年07月-

「アウトレイジ」に至る北野武/ビートたけしの軌跡

長谷正人・轟夕起夫(対談)

キネマ旬報(1559)p.34 - 452010年06月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第九回)不機嫌なドラマ

長谷正人

GALAC(157)p.38 - 412010年06月-

「ヴァナキュラー・イメージ」と「メディア文化」─シミュラークルとしての「ルー大柴」をめぐって

長谷正人

SITE/ZERO ZERO/SITE(3)p.124 - 1332010年06月-

敗者の想像力ー脚本家山田太一(第八回)敗者の逆転劇

長谷正人

GALAC(156)p.36 - 392010年05月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第七回)不条理劇が終わった後を描くドラマ

長谷正人

GALAC(155)p.36 - 392010年04月-

社会学という不自由

長谷正人

思想地図(5)p.131 - 1472010年03月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第六回)敗者の不条理劇

長谷正人

GALAC(154)p.36 - 392010年03月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第五回)敗戦国日本の旅路

長谷正人

GALAC(153)p.36 - 392010年02月-

敗者の想像力─脚本家山田太一(第四回)岸辺の原っぱ

長谷正人

GALAC(151)p.36 - 392009年12月-

書評・上野昴志『紙上で夢みる 現代大衆小説論』(清流出版)

長谷正人

キネマ旬報(1546)p.1542009年11月-

『あいのり』は「やらせ」か─テレビが作り出す純粋な恋愛

長谷正人

新鐘(76)p.39 - 402009年11月-

敗者の想像力─脚本家 山田太一(第三回)「敗者」としての林檎たち

長谷正人

GALAC(150)p.36 - 392009年11月-

敗者の想像力─脚本家 山田太一(第二回)「敗者」としてのテレビ脚本家

長谷正人

GALAC(149)p.38 - 412009年10月-

敗者の想像力─脚本家 山田太一(第一回)

長谷正人

GALAC(148)p.32 - 352009年09月-

ジオラマ化する世界3(「モネの庭」)

長谷正人

写真空間(3)p.137 - 1452009年05月-

「表話」としての映画批評─神話化の危険には注意すべき(書評・蓮實重彦『映画論講義』東大出版)

長谷正人

図書新聞(2900)2009年01月-

ジオラマ化する世界2(『父親たちの星条旗、あるいはジオラマの内と外)

長谷正人

写真空間(2)p.169 - 1792008年09月-

虚構とアイロニーの80年代(対談)

大澤真幸・長谷正人

大航海(68)p.72 - 932008年09月-

ビートたけし(21世紀の冒険者48)

長谷正人

daiaries(ダイアリーズ)(1)p.1082008年08月-

複製技術という問題と高級/大衆芸術としての映画─竹峰義和『アドルノ、複製技術へのまなざし』書評

長谷正人

表象(02)p.281 - 2882008年03月-

社会学から見た70年代注目の理由(インタビュー)

長谷正人

宣伝会議(737)p.34 - 352008年03月-

ジオラマ化する世界 1(カール・エイクリー/杉本博司の生態ジオラマ)

長谷正人

写真空間/青弓社(1)p.215 - 2242008年03月-

想像力の「飛躍」を迫る(万田邦敏監督『接吻』評)

長谷正人

図書新聞(2826)p.82008年03月-

機械的反復としてのエックス線写真

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(15)p.882007年12月-

『文化の社会学』をめぐって(下)

佐藤健二/吉見俊哉/長谷正人

書斎の窓569p.2 - 122007年11月-

『文化の社会学』をめぐって(上)

佐藤健二/吉見俊哉/長谷正人

書斎の窓568p.2 - 102007年10月-

創造とは何か?──フーコー、キアロスタミ、デリダ

長谷正人

Mobile Society Review(未来心理)/モバイル社会研究所(8)p.4 - 112006年12月-

分野別研究動向(文化)──「ポストモダンの社会学」から「責任と正義の社会学」へ──

長谷正人

社会学評論 (日本社会学会)57(3)p.615 - 6332006年12月-

マンガ研究と映画研究

長谷正人

日本映像学会会報(展望)(136)p.32006年10月-

トリックスターになった前衛写真家『カメラになった男──写真家 中平卓馬』

長谷正人

美術手帖/美術出版社58(887)p.170 - 1712006年10月-

テレビはジャーナリズム論では語れない(書評ヒューマイルズ『アルジャジーラ 報道の戦争』光文社)

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(12)p.146 - 1472006年03月-

文化の社会学の窮状/可能性

長谷正人

年報社会学論集(関東社会学会)(18)p.16 - 272005年08月-

<表現>としての犯罪対策へ:われわれは、いまだに<オウム事件>の渦中にいる

大澤真幸・長谷正人・森達也

劇場文化(財団法人静岡県舞台芸術センター)(8)p.84 - 1242005年05月-

写真、バルト、時間:『明るい部屋』を読み直す

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(10)p.99 - 1032005年04月-

アニメーションという思想ー宮崎駿試論

長谷正人

早稲田大学大学院文学研究科紀要第50輯第1分冊p.83 - 962005年02月-

映画、小津、時間(3)

長谷正人

UP/東京大学出版会(388)p.38 - 422005年02月-

映画、小津、時間(2)

長谷正人

UP/東京大学出版会(387)p.46 - 502005年01月-

映画、小津、時間(1)

長谷正人

UP/東京大学出版会(386)p.48 - 522004年12月-

書評・阿部嘉昭『68年の女を探して:私説・日本映画の60年代』(論創社)

長谷正人

図書新聞(2697)2004年10月-

心霊写真は語る/(第2章「ヴァナキュラー・モダニズムとしての心霊写真」)

一柳廣孝編

青弓社p.63 - 872004年08月-

「切り返し」の想像力の発見:100年前の映画をめぐって

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(8)p.121 - 1232004年07月-

日本映画とナショナリズム1931−1945/(第10章「日本映画と全体主義:津村秀夫の映画批評をめぐって」)

岩本憲児編

森話社2004年06月-

ブックデザインになにが可能か

ミルキイ・イソベ・祖父江慎・長谷正人・鈴木一誌・戸田ツトム

d/sign(デザイン)/太田出版(7)p.164 - 1732004年05月-

アフォーダンス理論のパフォーマンス

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(7)p.76 - 782004年05月-

「痕跡」と「指差し」─写真の訳の分からなさをめぐって

長谷正人

木野評論/青幻社(35)2004年03月-

映画にとって細部とは何か;リュミエールと宮崎駿をめぐって

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(6)p.91 - 942004年02月-

現代若者考⑧ 若者の寂しさ

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(45)2004年02月-

intermedia——メディアと芸術の相関を思考する (第1巻5章「記憶と忘却の経験としての映画」)

早稲田大学メディアデザイン研究室+映像コミュニケーション研究所(編 )

トランスアート社2003年10月-

レイアウトとしての映画;時間的想像力の可能性をめぐって

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版(5)p.106 - 1092003年10月-

複製というアウラ;ベンヤミン、笠智衆、グールド

長谷正人

d/sign(デザイン)/太田出版no.4 p.68 - 732003年05月-

夢としての資本主義──ハリウッド映画の魅力とは何だったのか

長谷正人

早稲田学報2003年03月-

書評 舛本直文『スポーツ映像のエピステーメー』

長谷正人

スポーツ社会学研究(日本スポーツ社会学会)(11)p.134 - 1362003年03月-

書評・荻野昌弘編著『文化遺産の社会学:ルーヴル美術館から原爆ドームまで』

長谷正人

社会学評論(日本社会学会)53(4)2003年03月-

テレビ出演という謎:『未来日記』試論

長谷正人

現代風俗学研究/社団法人現代風俗研究会東京の会(9)p.20 - 252003年03月-

テレビ世界の生態学的観察者;ナンシー関の倫理をめぐって

長谷正人

トリビュート特集 ナンシー関/河出書房新社2003年03月-

クイズ文化の社会学(コラム「テレビ番組の『形式』としてのクイズ」を執筆)

石田佐恵子・小川博司編

世界思想社p.108 - 1092003年03月-

テレビは外延化しつづけるフレームである(鈴木一誌によるインタビュー)

長谷正人

d/sign(デザイン)/丸善(3)p.54 - 632003年01月-

二0世紀の映像文化:「エジソン的回帰」をめぐって

長谷正人

映画学/映画学研究会(早稲田大学文学部演劇映像研究室内)(16)2002年12月-

情報学辞典

吉見俊哉他編

弘文堂2002年06月-

文化社会学の社会学的責任とは何か

長谷正人

TASC MONTHLY(317)p.4 - 92002年05月-

「文化」のパースペクティヴと日本社会学のポストモダン的変容

長谷正人

文化と社会/マルジュ社(3)2002年04月-

映像の社会学・再考:黒澤明の『羅生門」をめぐって

長谷正人

社会学年誌(早稲田社会学会) (43)p.5 - 222002年03月-

運動雑記帳1−14

長谷正人

ATHRA(毎日コミュニケーションズ)10号から25号まで連載2002年02月-2003年05月 

現代若者考⑥ストリート・ミュージシャン

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(43)p.58 - 592001年12月-

物語、あるいは映画の柔らかい肌

長谷正人

物語の風俗(現代風俗研究会年報)/河出書房新社(23)p.114 - 1252001年09月-

カメラの存在論

長谷正人

「写真の会」会報(50)p.2 - 102001年09月-

書評・黒沢清『映画はおそろしい』

長谷正人

文学界 2001年5月号p.313 - 3152001年04月-

映画の政治学・再考;『国民の創世』の受容をめぐって

長谷正人

立教アメリカン・スタディーズ(立教大学アメリカ研究所)(23)p.85 - 1062001年03月-

フィクション映画の「社会性」とは何か:D.W.グリフィスの『国民の創生』をめぐって

長谷正人

社会学年誌(早稲田社会学会)(42)p.131 - 1462001年03月-

伊奈正人『サブカルチャーの社会学』(世界思想社)

長谷正人

ソシオロジ/社会学研究会(140)2001年02月-

現代若者考⑤メル友

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(42)p.46 - 472001年01月-

<観客>のゆくえ(森直人編『21世紀/シネマX』)

長谷正人

フィルムアート社p.130 - 1332000年12月-

新・社会人のための基礎知識101(65「生きがいの探求」を執筆)

樺山紘一編

新書館p.154 - 1552000年04月-

チーム・プレイのドキュメント(ハワードホークス論)

長谷正人

月蛙(子供社)(2)p.85 - 912000年04月-

現代若者考④ケータイ

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(41)p.98 - 992000年03月-

現実構成主義から遠く離れて

長谷正人

ソシオロジ/社会学研究会(137)2000年02月-

日本映画と全体主義:津村秀夫をめぐって

長谷正人

映像学/日本映像学会(63)1999年12月-

テクノロジーの経験としての映画:戦争、全体主義、そして生命のリズム

長谷正人

月蛙/子供社(1)p.80 - 931999年10月-

映画哲学1〜10

長谷正人

ロゴスドン/ヌース出版会33号から42号まで連載1999年07月-2001年01月 

社会福祉辞典(「遊び」「ダブルバインド」「無意識」など10項目を執筆)

庄司洋子,木下, 康仁,武川, 正吾,藤村正之(編)

弘文堂1999年05月-

韓国における日本映画開放によせて;国際評価とナショナル・アイデンティティーを手がかりに

長谷正人

国際交流(国際交流基金)(83)1999年04月-

現代若者考③コンビニ

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(40)p.98 - 991999年03月-

『学問の鉄人が贈る14歳と17歳のBOOKガイド』(蓮實重彦『監督小津安二郎』の紹介を執筆)

河合塾編

メディアファクトリーp.251999年01月-

The Origins of Censorship:Police and Motion Pictures in the Tisho period(「検閲の誕生」の英訳)

Hase Masato

Review of Japanese Culture and Society/城西国際大学(10)p.14 - 231998年12月-

亜細亜 映画 研究; 歴史 美学 正体性 産業(The Identity of Japanese Cinemaを執筆)

韓国映画学会編

Good Living(Korea)p.273 - 2881998年11月-

書評 矢谷慈國著『賢治とエンデ : 宇宙と大地からの癒し』

長谷正人

社会学評論/日本社会学会49(1)p.138 - 1401998年06月-

書評 上野昴志『映画全文 1992−1997』

長谷正人

映画館へ行こう!(えとしっく)(14)p.131 - 1331998年06月-

リュミエール兄弟のアルケオロジー

長谷正人

CineMagaziNet!(http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO2/Default2.htm)(2)1998年06月-

Cinemaphobia in Taisho Japan :Zigomar,Delinquent Boys and Somnambulism

Masato Hase

ICONICS/日本映像学会(4)p.87 - 1011998年03月-

映画観客の「笑い」について

長谷正人

現代風俗学研究(4)p.74 - 761998年03月-

現代若者考②カラオケ

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(39)p.82 - 831998年03月-

社会学文献辞典(クラカウアー『カリガリからヒットラーまで』の項を執筆)

見田宗介他編

弘文堂1998年02月-

現代若者考①プリクラ

長谷正人

カルチャーちば/千葉市文化振興財団(38)p.82 - 831997年09月-

学問の世界地図〔文化の社会学〕 文化=意味づけの体系をひっくり返す魅力

長谷正人

別冊宝島『学問の鉄人 大学教授ランキング』(322)p.120 - 1211997年07月-

<シリーズ対談=人間と看護を考える>こころとからだ 遊びと効用(1)(2)

藤村正之・長谷正人

看護展望(メチ”カルフレンド社)1997年07月-1997年08月 

現実性のスペクタクルとドキュメンタリー映画

エリザベス・カウイ(長谷正人訳)

Documentary Box(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)(10)p.1 - 81997年06月-

書評 加藤幹郎『映画ジャンル論』・『映画 視線のポリティクス』

長谷正人

映像学/日本映像学会(58)1997年05月-

社会学小事典・新版(「意図せざる結果」「ベートソン」「ミミクリー」を執筆)

濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘

有斐閣1997年01月-

リュミエールの考古学

長谷正人

映像学(日本映像学会)55号1996年11月-

映像のオントロギー(1)−(40)

長谷正人

Internet photo Magazine(http://www.ipm.jp/ipmj/back.html)に毎月連載1996年08月-2000年12月 

ブックガイド 20世紀のアート&テクノロジー50冊(ベイトソン『精神の生態学』の項目を執筆)

長谷正人

intercommunication/NTT出版(17)1996年07月-

メディアとしての映画館

長谷正人(責任編集)

現代風俗学研究/社団法人現代風俗研究会東京の会(2)1996年04月-

検閲の誕生─大正期の警察と活動写真

長谷正人

映像学(日本映像学会)(53)1994年11月-

眼の規律

長谷正人

imago(イマーゴ)/青土社5(10)p.284 - 2851994年09月-

第二次世界大戦下のアメリカ映画と映画の情報メディア化;『われらなぜ戦うか』をめぐって

長谷正人

平成5 年度科学研究費補助金( 総合研究A) 研究成果報告書『芸術表現におけるイデオロギー;全体主義と文化』p.41 - 541994年03月-

ヴァーチャルじいさん笠智衆

長谷正人

imago(イマーゴ)/青土社5(10)p.1871994年01月-

フーコー・ドゥルーズ・ユーモア

長谷正人

ブリーフサイコセラピー研究/亀田書店(2)1993年07月-

書評 井上俊『悪夢の選択』

長谷正人

ソシオロジ(社会学研究会)38(1)p.79 - 861993年05月-

『主体』のパラドックスと『遅れ』の意識・・・近代の時間意識をめぐる一考察

長谷正人

ソシオロジ(社会学研究会)p.3 - 121993年02月-

新社会学辞典

森岡清美・塩原勉・本間康平編

有斐閣1993年02月-

視姦された映画とマゾヒズムのまなざし・・・バルト/ ドゥルーズの映画鑑賞

長谷正人

imago(イマーゴ)/青土社3(12)p.188 - 1961992年10月-

書評・盛山和夫,海野道郎編『秩序問題と社会的ジレンマ』

長谷正人

理論と方法(日本数理社会学会)7(2)p.141 - 1441992年-

ユートピア世界としての「男はつらいよ」

長谷正人

『男はつらいよ 寅次郎の告白』劇場用パンフレット1991年12月-

言語行為論、現実構成主義、家族療法

長谷正人

現代のエスプリ(至文堂)(287)p.41 - 481991年06月-

行為の意図せざる結果 (2)

長谷正人

千葉大学教養部研究報告(A-22)p.173 - 2021990年03月-

ダブル・バインドへのシステム論的アプローチ

長谷正人

社会学評論(日本社会学会)40(3)p.310 - 3241989年12月-

行為の意図せざる結果 (1)

長谷正人

千葉大学教養部研究報告(A-21)p.107 - 1351989年03月-

書評 作田啓一・井上俊編『命題コレクション・社会学』

長谷正人

ソシオロジ32(1)p.98 - 1011987年05月-

<死> の象徴論的考察

長谷正人

年報人間科学(大阪大学人間科学部)(8)p.97 - 1121987年03月-

The Origins of Censorship:Police and Motion Pictures in the Tisho period

Hase Masato

Review of Japanese Culture and Society(10)p.14 - 231998年12月-

Cinemaphobia in Taisho Japan :Zigomar,Delinquent Boys and Somnambulism

Masato Hase

ICONICS(4)p.87 - 1011998年03月-

人間原節子─そのエロスの源泉

長谷正人

ユリイカ48(3)p.90 - 992012年02月-

メディアはなぜあるのか(<特集>メディア文化研究の課題と展望)

長谷 正人

マス・コミュニケーション研究(78)p.3 - 182011年01月-2011年01月 

CiNii

詳細

ISSN:13411306

概要:There are two sides of mass communication, one is for the side for journalism and the other is for the side of media. Mass communication as journalism consists the discipline of democracy at society. Also mass communication has a role of deliver the information about politics, crimes, and economics correctly. On the other hand, mass communication has the side of incantation. Common people are willing to enjoy criminal and political reports as much as fictions and dramas. To respond to such desire, popular culture of 20^ century has also developed. However, such a media culture as an amusement has held a lower position of gossips and rumors in the field of mass communication study. From now on, media culture has to be analyzed as a main focus of mass communication. Media exits not only for the justice but for the joy of living.

Miriam Bratu Hansen, Cinema and Experience: Siegfried Kracauer, Walter Benjamin, and Theodor W. Adorno, University of California Press, 2012

長谷 正人

映像学(94)p.61 - 652015年05月-2015年05月 

CiNii

詳細

ISSN:02860279

川田耕著 『愛の映画──香港からの贈りもの』

長谷 正人;川田 耕

ソシオロジ58(2)p.127 - 1372013年-2013年

CiNii

詳細

ISSN:0584-1380

人間原節子 そのエロスの源泉

ユリイカ48(3)p.90 - 992016年02月-

テレビジョン、低俗番組、弱者の民主主義─放送の公共性をめぐって

長谷正人

表象・メディア研究(6)p.11 - 302016年03月-

アマチュアリズムと放送の民主主義

長谷正人

ユリイカ48(14)p.125 - 1342016年10月-

詳細

掲載種別:研究論文(学術雑誌)

日活ロマンポルノ、あるいは性表現という恥ずかしさ

長谷正人

映画学(30)p.80 - 862017年02月-

鈴木清順における「純粋な運動」と歴史という不純

長谷正人

ユリイカ49(8)p.88 - 962017年05月-

詳細

掲載種別:研究論文(学術雑誌)

聡明な作家、是枝裕和

長谷正人

KAWADE夢ムック文藝別冊是枝裕和p.124 - 1282017年09月-

書籍等出版物

全訂新版 現代文化を学ぶ人のために(第7章映像文化の三つの位相─見ること、撮ること、撮られること)

井上俊編

世界思想社2014年 08月-

クイズ化するテレビ

黄菊英/長谷正人/太田省一

青弓社2014年 07月-

敗者たちの想像力──脚本家山田太一

長谷正人

岩波書店2012年 07月-

横断する映画と文学(「第8章長谷川伸と股旅映画─映画を見ることと暮らしの倫理性をめぐって」を執筆)

十重田裕一編

森話社2011年 07月-

社会学ベーシックス別巻 社会学的思考(第13章物語と社会学的想像力 厚東洋輔『社会認識と想像力』)

井上俊・伊藤公雄編

世界思想社2011年 05月-

映画というテクノロジー経験

長谷正人

青弓社2010年 11月-

文化社会学入門──テーマとツール

井上俊・長谷正人(編)

ミネルヴァ書房2010年 10月-

『日本映画は生きている 第3巻観る人、作る人、掛ける人』(「日本映画のポストモダン」を執筆)

黒沢清、四方田犬彦、吉見俊哉、李鳳宇編

岩波書店2010年 09月-

大衆文化とメディア(叢書 現代のメディアとジャーナリズム4)

吉見俊哉・土屋礼子編(「第3章 大正期日本における映画恐怖症─ジゴマ、夢遊病、ごっこ遊び」を執筆)

ミネルヴァ書房2010年 08月-

社会学ベーシックス7 ポピュラー文化(第3章ポピュラー文化の神話学、バルト『現代社会の神話』を執筆)

井上俊・伊藤公雄編

世界思想社2009年 05月-

コミュニケーションの社会学

長谷正人・奥村隆編

有斐閣2009年 12月-

よくわかるメディア・スタディーズ

伊藤守編

ミネルヴァ書房2009年 03月-

『新たな地平を拓く研究者たち』(「オウムと震災後のメディア社会の中で息苦しさを超えて」)

日経BP企画 大学取材班

日経BP2008年 12月-

社会学ベーシック1 自己・他者・関係(23章「メタ・コミュニケーション(ベイトソン『精神の生態学』)を執筆)

井上俊・伊藤公雄編

世界思想社2008年 09月-

『明るい部屋』の秘密─ロラン・バルトと写真の彼方へ(「写真、バルト、時間」を再録)

青弓社編集部

青弓社2008年 08月-

テレビだョ! 全員集合─自作自演の1970年代

長谷正人/太田省一(編)

青弓社2007年 11月-

私の愛した地球博(コラム「大阪万博の記憶から愛知万博を考える」を執筆)

加藤晴明/岡田朋之/小川明子(編)

リベルタ出版2006年 07月-

女優 山口百恵(第2章 「『赤い』シリーズ──百恵神話の成立」を執筆)

四方田犬彦(編)

ワイズ出版2006年 07月-

世界と僕たちの、未来のために 森達也対談集 (鼎談「われわれはいまだに<オウム事件>の渦中にいる」の再録)

森達也

作品社2006年 01月-

自己と他者の社会学(第10章「ヴァーチャルな他者とのかかわり」を執筆)

井上俊・船津衛(編)

有斐閣2005年 12月-

社会文化理論ガイドブック(執筆項目は「アウラの凋落」と「物語批判」)

大村英昭・宮原浩二郎・名部圭一(編)

ナカニシヤ出版2005年 06月-

心霊写真は語る/(第2章「ヴァナキュラー・モダニズムとしての心霊写真」)

一柳廣孝

青弓社2004年 08月-

日本映画とナショナリズム1931−1945/(第10章「日本映画と全体主義:津村秀夫の映画批評をめぐって」)

岩本憲児編

森話社2004年 06月-

情報化と文化変容(「『絶対速度』の移動体験──情報化社会の映画をめぐって」を執筆)

正村俊之編

ミネルヴァ書房2003年 09月-

電子メディア文化の深層/伊藤守・小林宏一・正村俊之編(第2章「20世紀の映像文化とメロドラマ的想像力」)

早稲田大学出版2003年 09月-

映画の政治学

長谷正人・中村秀之編

青弓社2003年 09月-

アンチ・スペクタクル:沸騰する映像文化の考古学

長谷正人・中村秀之編訳

東京大学出版会2003年 06月-

文化社会学への招待(第一章「遊び」をめぐる「離脱」と「拘束」;『丹下左膳余話・百万両の壷』をめぐって)

富永茂樹他編

世界思想社2002年 05月-

映像という神秘と快楽:<世界>と触れ合うためのレッスン

長谷正人

以文社2000年 12月-

臨床社会学を学ぶ人のために(「セルフヘルプグループの調査実習から:「個別的な苦しみ」をめぐる社会学の可能性」)

大村英昭編

世界思想社2000年 10月-

新版・現代文化を学ぶ人のために(第7章「映像化社会の成立と映画の変容」を執筆)

井上俊(編)

世界思想社1998年 11月-

現代社会学 第8巻 文学と芸術の社会学(「overview 文学と芸術の社会学」を執筆)

井上俊、上野千鶴子、大澤真幸、見田宗介、吉見俊哉編

岩波書店1996年 09月-

社会学のすすめ (第2章「遊戯としてのコミュニケーション」を執筆)

大澤真幸(編)

筑摩書房1996年 05月-

組織とネットワークの理論(『モグラとヘビ・・管理社会の歩き方』を執筆)

宮本孝二・森下伸也・君塚大学編

新曜社1994年 04月-

悪循環の現象学:「行為の意図せざる結果」をめぐって

長谷正人

ハーベスト社1991年 03月-

ひとびとの精神史第7巻 終焉する昭和/1980年代(「宮崎駿─職人共同体というユートピア」担当)

長谷正人・杉田敦編(共著)

岩波書店2016年 02月-

詳細

単行本(学術書)

映像文化の社会学

長谷正人(編著)

有斐閣2016年 10月-

詳細

教科書総ページ数:291

作田啓一vs.見田宗介(第2章見田宗介における「相乗性」という限界─『近代日本の心情の歴史』を読み直す)

奥村隆編(長谷は第2章担当)(分担執筆)

弘文堂2016年 11月-

詳細

単行本(学術書)総ページ数:398担当ページ数:75-100

外部研究資金

科学研究費採択状況

研究種別:

デジタル化時代における映像文化の日常的変容

2015年-0月-2018年-0月

配分額:¥5850000

研究種別:

テレビドラマとポスモダン社会

配分額:¥3120000

研究種別:

テレビ文化のメディア史的考察

配分額:¥3700000

研究種別:

ドキュメンタリー・バラエティ番組のメディア史的考察

配分額:¥1600000

研究種別:

1920-40年代日米における映画検閲の比較社会学的研究

配分額:¥4100000

研究種別:

クイズ形式の文化についての歴史的・比較文化的研究〜テレビ番組を中心に〜

配分額:¥2500000

研究種別:

映画館の社会的機能に関する研究

配分額:¥900000

研究種別:

芸術表現におけるイデオロギー:全体主義と文化

配分額:¥9500000

研究種別:

メディア文化における「孤独」の系譜

2018年-0月-2021年-0月

配分額:¥4290000

学内研究制度

特定課題研究

デジタル技術時代の映像文化に関する研究

2011年度

研究成果概要: デジタル映像時代の映像文化とは何か。私は、その問題を主としてテレビやインターネットの映像の現況を調査することによって明らかにした。ちょうど2011年3月11日には、東日本大震災が起きた。この震災とは何かをいま考えるときに、社会的... デジタル映像時代の映像文化とは何か。私は、その問題を主としてテレビやインターネットの映像の現況を調査することによって明らかにした。ちょうど2011年3月11日には、東日本大震災が起きた。この震災とは何かをいま考えるときに、社会的に普及したパーソナルなデジタルメディアによる無数の津波映像を抜きにして考えることはできないだろう。私たちは津波から避難しようとする人々が、自からその逃げる途中でデジタルビデオカメラを回して捉えた、リアルな津波の映像を見たのだ。そこには、津波のザーッという音、木材が何かにぶつかって折れながら立てるメリメリっといった音、周囲から上がる悲鳴や叫び声などが収められていた。それは、客観的・俯瞰的な視点から見た津波ではなく、ごくパーソナルな視点から体験された見たことのないような迫力ある映像だった。 それは、デジタル技術時代の映像文化とは何かを教えてくれる、きわめてシンボリックな映像だったと思う。従来における事件や災害や出来事の体験は、一般性と個別性に分けることができた。今回でも基本的にはそうだ。個々の被災者にとっての津波体験は、それぞれにとって固有の避難所生活や津波の恐怖や肉親や知人の死であった。もしテレビジョンやネットが見られない状況であれば、助かった被災者は津波の全体像を知らずに、たいした津波ではなかったなと思うかもしれない。それに対して、マスメディアは客観的な映像で出来事を知らせる。911のツインタワーの映像のように、ビルへ飛行機が突っ込む瞬間を遠くから傍観するのが、一般性を持った出来事の映像だった。例えばヘリコプターから捉えた津波が畑を飲みこむ映像が今回の一般的津波映像だった。 しかし今回私たちはそれだけでなく、テレビの報道を通して、東北の様々な地域の人々が、それぞれにデジタルカメラで捉えたパーソナルな映像を、東日本大震災という抽象的な出来事の概念に沿って組み立てて、被害の全体をイメージするような新しい体験をした。それは、津波の個別的な体験をモザイク状に組み合わせて作られる一般的な津波イメージと言えるだろう。このようなパーソナルな映像が組み合わさって出来事の一般的なイメージを構築するのが、デジタル技術時代に映像文化の一つの特徴であろう。

デジタル化時代における映像文化の日常的変容

2014年度

研究成果概要: 本研究の目的は、映像テクノロジーの出現が人間の社会生活をいかに文化的に変容させたかを多角的に明らかにすることである。従来の映像文化研究や映像メディア研究は、写真、映画、テレビの諸作品をメディウムごとに分析するか、それらがいかに社... 本研究の目的は、映像テクノロジーの出現が人間の社会生活をいかに文化的に変容させたかを多角的に明らかにすることである。従来の映像文化研究や映像メディア研究は、写真、映画、テレビの諸作品をメディウムごとに分析するか、それらがいかに社会を表象しているかを分析するものが多かった。  しかしデジタルカメラやその周辺機器の出現と普及は、映像文化と人間との関係を根本的に変化させ、社会のなかに、日常生活を自ら映像で記録し、保存し、インターネットを通して交換しあうといった、新しいパーソナルな映像文化を生じさせつつある。 従って映像文化の分析は、人間がいかに映像を「見る」のかという従来の問題だけでなく、いかに映像を自ら「撮る/撮られる」のかをも分析の対象に加えなければならないだろう。本研究はそうした新しい映像研究を社会学的に展開していくための、基礎的な理論研究と現状の分析を目指して行われ、本年度はとくに基礎研究にウェイトを置いて、トムガニングの「動き」をめぐる研究と、ハンセンのベンヤミン論を中心に検討した。

1930年代日本映画の歴史社会学的研究

2000年度

研究成果概要: 1930年代の日本映画を象徴するものは、いわゆる「明朗時代劇」と呼ばれるような、稲垣浩、伊丹万作、山中貞雄らの新しい時代劇の運動だったと言えよう。20年代後半には伊藤大輔らの悲愴な反英雄的時代劇や傾向映画的な趣を持った作品が隆盛... 1930年代の日本映画を象徴するものは、いわゆる「明朗時代劇」と呼ばれるような、稲垣浩、伊丹万作、山中貞雄らの新しい時代劇の運動だったと言えよう。20年代後半には伊藤大輔らの悲愴な反英雄的時代劇や傾向映画的な趣を持った作品が隆盛だったのに対して、30年代には小市民的で庶民的な明るい時代劇が流行ったわけである。この劇的とも言える変化には、「検閲」の問題が絡んでいると思われる。むろん公権力は百姓一揆に仮託して反権力のメッセージを持った傾向映画をずたずたに切り裂いた。映画作家たちにとって、そのような抑圧的状況は表現の障害になったに違いあるまい。しかしこのような権力による目に見える抑圧だけでなく、映画作家の表現方法にとってより内在的な「検閲」もあったのではないか。それはチャンバラという暴力シーンに対する「検閲」なのだ。だからたとえば伊丹は、それまでの時代劇を「殺人映画」と呼んで批判しているし、稲垣はチャンバラは時代劇にとって盲腸のようなものだと否定している。つまり彼らは、それまでの時代劇がヒーローのアクションを売りにする「視覚性」の強い芸術だったのを否定して、セリフと人間心理を中心としたドラマへと変更させようとしたのである。したがって「傾向映画」から「明朗時代劇」への流れはたんに映画の「保守化」とだけ捉えられるべきものではない。たとえば「傾向映画」は強い視覚的効果によって観客をコントロールしようとした。メッセージとしては左翼的だったとしても、観客を統制したい欲望が孕まれているという意味では、それは全体主義的だったのではないか。したがって「明朗時代劇」は、20年代と40年代に挟まれて、観客をメディアによってコントロールしたいという欲望を宙づりしてみせた貴重な試みだったとも言えるのだ。むろんその試みは、40年代になって全体主義によって簡単に圧倒されてしまったとはいえ、そこにあった政治的可能性についてさらに考える必要があるだろう。

ドキュメンタリーバラエティー番組におけるリアリティ感覚の変容

2001年度

研究成果概要:ドキュメンタリー・バラエティ番組は、テレビというメディアを新しい段階へと押し進めつつある。これまでのテレビは「映画」のフィクション性に対する未練のようなものを持っていた。だから「ドラマ」が重要な地位を占めてきたわけだし、クイズ番組...ドキュメンタリー・バラエティ番組は、テレビというメディアを新しい段階へと押し進めつつある。これまでのテレビは「映画」のフィクション性に対する未練のようなものを持っていた。だから「ドラマ」が重要な地位を占めてきたわけだし、クイズ番組などのバラエティ番組やニュース番組からドキュメンタリー番組においても「台本」による構成が重要な役割を果たしてきた。しかしここに来てテレビというメディアは大きな変容を見せつつあるといえるだろう。いまやテレビにおいて中心的な役割を占めているのは、スポーツ中継や地震情報などの生放送による映像伝達番組である。つまりテレビはいま「フィクション」であるという見せかけを取り払って、ただの通信機械であるという本性をあらわにしつつあるのだ。しかしでは全てを生放送にするかというと、そのように単純な変化が起きているわけでもない。メディアであるということは、ただの単純な伝達ではなく(監視カメラ映像の生中継では視聴率はとれない)、必ず何らかの人為的な構成を伴って視聴者にメッセージを届けなければならない。あるいは事実として届いてしまうものだ。そこで情報バラエティ番組という奇怪な番組が成立することになる。かつてのワイドショーとも少し違って、芸能ネタもスポーツも政治・経済も全てが同じ「情報」として伝達されるような番組である。いわゆるニュースショーとワイドショーはほとんど区別がつかない同じこのジャンルを形成しつつある。 このようなテレビの動向をバラエティ番組において実践しつつあるのが、『ガチンコ』、『学校へ行こう』『鉄腕ダッシュ』『あいのり』などなどのドキュメンタリー・バラエティ番組といえるだろう。本研究においてはTBS系列の『ウンナンの気分はホントコ』という番組の1コーナーである『未来日記』に焦点をあてて分析した。われわれの分析によれば、この番組はテレビメディアが孕み持つ暴力性自体を主題にしたものである。まず素人の出演者たちは日記の指示に従うのだが、それは崖を100メートル登ったり、東京から軽井沢まで自転車で走らされたり、他の出演者を傷つけることを言わされたりといった酷い「暴力性」を帯びたものなのだ。この「暴力性」に苦しんだり、葛藤したりする出演者たちの姿に視聴者たちは否応なく自分の感覚を揺さぶられてしまう(ドラマに感動するのとは違う)。すると最後には製作者までもが、出演者の過剰な反応に感動して番組の方向性をますます暴力的なものに変えていく。それはとうとう元カップルを強引に復縁させるところまで行きつく。このような暴力性をメディアに振るわせることで、そのシステムに人々が従属していくのが『未来日記』をめぐる大衆文化現象だったといえよう。つまり人々はメディアにリアルな感覚を求めていったはてに「暴力」の問題に行きついたのだ。詳しくは下記報告書を参照されたい。

テレビ・メディアへの文化論的アプローチ

2006年度

研究成果概要:現代社会は、テレビ・メディアの作り出すイメージに覆われている。2006年の不二家問題で彼らの衛生管理の不備を嘆いた人間は、誰一人として不二家のケーキをまずいと思ったり、不二家のケーキでお腹を壊したりしたような具体的経験を持ったわけ...現代社会は、テレビ・メディアの作り出すイメージに覆われている。2006年の不二家問題で彼らの衛生管理の不備を嘆いた人間は、誰一人として不二家のケーキをまずいと思ったり、不二家のケーキでお腹を壊したりしたような具体的経験を持ったわけではないだろう。自らの生活のなかで具体的に困ってもいないことを、メディア空間の情報を通して「けしからん」と道徳的に語ることほど、抽象的で空疎な事態はないのではないか。しかし間違いなく、そのような空疎なメディア空間によって私たちの現在の生活は作られている。このようなシミュラークルとしてのテレビ生活空間が成立しはじめたのが1970年代である。だからこそ、この時代のテレビ(製作者も視聴者も出演書も)がいかなる変容を起こしてシミュラークル化したかを見直さなければならないのだ。60年代まではアメリカのテレビドラマなどを通して、自分たちの生活の外を夢を見るメディアであったはずのテレビが、70年代になると自分たちの日常生活それ自体を夢として作り変えるような倒錯的な作業を行うようになる。たとえば脚本家・山田太一によるドラマ『岸辺のアルバム』という傑作では、変態的ないたずら電話を通して主婦・八千草薫は、未知の男、竹脇無我との不倫の世界へといざなわれていく。そこには一軒家で孤独に送る日常生活労働の反復退屈さを否定し、逆に生活をファンタジー化しようとする彼女の欲望が渦まいていただろう。そして事実私たちは山田太一の予言した道を通って日常生活を抽象的なファンタジー空間(シミュラークル)にしてしまった。そのとき私たちはそこで「退屈な日常生活」を失ってしまったのではないか。退屈という贅沢の喪失。いつも面白いことが起きてないといけないという強迫的観念。テレビメディアを分析することは、この閉塞空間を打ち破って、「退屈な日常生活」を思い出すことでなければなるまい。

海外研究活動

研究課題名: 映像文化の比較社会学的研究

2007年04月-2008年03月

機関: なし(アメリカ)

現在担当している科目

科目名開講学部・研究科開講年度学期
必修基礎演習 24文化構想学部2019春学期
基礎講義 1文化構想学部2019春学期
基礎講義 2(再履)文化構想学部2019秋学期
メディア論1文化構想学部2019春学期
メディア論1文学部2019春学期
メディア論2文化構想学部2019秋学期
メディア論2文学部2019秋学期
映像メディアの社会学文化構想学部2019春学期
映像メディアの社会学文学部2019春学期
テレビ文化論文化構想学部2019秋学期
テレビ文化論文学部2019秋学期
表象・メディア論系演習(映画文化論1)文化構想学部2019秋学期
表象・メディア論系演習(複製メディア論1)文化構想学部2019春学期
表象・メディア論系演習(複製メディア論2)文化構想学部2019秋学期
メディア社会論ゼミ (春学期) A文化構想学部2019春学期
メディア社会論ゼミ (春学期) B文化構想学部2019春学期
メディア社会論ゼミ (秋学期) A文化構想学部2019秋学期
メディア社会論ゼミ (秋学期) B文化構想学部2019秋学期
マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて 1基幹理工学部2019春クォーター
マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて 1創造理工学部2019春クォーター
マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて 1先進理工学部2019春クォーター
マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて 2基幹理工学部2019夏クォーター
マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて 2創造理工学部2019夏クォーター
マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて 2先進理工学部2019夏クォーター
表象・メディア論研究指導4-1 M大学院文学研究科2019春学期
表象・メディア論研究指導4-2 M大学院文学研究科2019秋学期
表象・メディア論演習4-1大学院文学研究科2019春学期
表象・メディア論演習4-2大学院文学研究科2019秋学期
表象・メディア論研究指導4-1 D大学院文学研究科2019春学期
表象・メディア論研究指導4-2 D大学院文学研究科2019秋学期
映画のすべて マスターズ・オブ・シネマ 1グローバルエデュケーションセンター2019春クォーター
映画のすべて マスターズ・オブ・シネマ 2グローバルエデュケーションセンター2019夏クォーター

教育内容・方法の工夫

多人数演習授業における「掲示板」の活用

2000年04月-

詳細

概要:社会学演習Ⅰは32,3人で行われる演習形式の授業であるため学生の発言が難しい。そこで、あらかじめ文献を指定しておいて、それを読んだ学生に授業より前に掲示板に学生にコメントを書き込ませることで、当日の議論をしやすくする工夫をした。

作成した教科書・教材・参考書

社会文化理論ガイドブック(大村英昭・宮原浩二郎・名部圭一編)ナカニシヤ出版

2005年06月

詳細

概要:社会学理論をがいかに知的発見の喜びに満ちたものであり、学生たちがいかに生きるべきかという問いに役立つものであるかを紹介する上記テキストのうち「アウラの凋落(ベンヤミン)」と「物語批判(蓮實重彦)」を執筆した。

子犬に語る社会学・入門(洋泉社ムック)

2003年11月

詳細

概要:「社会学のイロハから最前線が1冊でわかる」という入門書のうちpart4「社会学がわかりたい人のためのブックガイド・・・文化社会学」を執筆した。

社会学の知33(大澤真幸編)新書館

2000年04月

詳細

概要:上記の33の問いをめぐる思考過程を示すという新しい形式に挑戦した社会学テキストにおいて、「労働はいかにして喜びになりうるか?」を執筆した。